受験生の「かわいた心」(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日も、Myツイッターアカウントにおける最新ツイートを転載します。6連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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前回ツイートの「トップアスリート」のみならず、私の仕事の領域で見る「受験生」においても「心」が「かわいている」と感じることは少なくない。

ここで言う「かわいている」はもちろん、「渇いている」ではなく「乾いている」のほう。本来、というか生来「学び」とは「生きることへの渇望」を具現化したものであると私は考えているので、「渇いた心」で没頭してこそ学びと思う。しかし、目的が別のところに置かれてしまうと、学びは無味乾燥なものに成り下がってしまう。

中学受験塾のなかには、教室での座席を成績順できれいに並べる塾があるが、私はこの指導方針には賛同できない。
なぜなら、そのような教室で日々学んでいると、学びが「他人にマウントを取る」ための手段や道具に化してしまうリスクが高いからだ。「わからなかったことがわかり、できなかったことができる」ようになったときの悦びや小さな感動が見損なわれ、学ぶことがひたすら「他人との競争」とイコールになってしまいがちである。

確かに、入試は他人との競争であり戦いであり、悪く言えば蹴落とし合いとも言える。しかし、その入試に至るまでの長い道のりは「自分との闘い」であるがゆえ、途中では他人を気にし過ぎず「自分の学びの悦び」に没頭する子のほうが、最終的に「入試も良い結果」に結びつくことが圧倒的に多い、という逆説的な事実がある。これは、私が大手塾に勤務していた頃にも、独立して以降にも経験している。

学びなり勉強なり、仮にも「教える」立場にある人間は、「渇いた心」が乾ききらぬよう「自分と向き合うすべ(術)」こそを教えるのが大切な務めと思う。
#学び #勉強 #心 #塾漬けはダメ



★上記ロングツイートのトップのURL
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https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1323996401844461568