ちょっと暴言。「命」よりも「学び」が大事?

皆様、こんにちは。

 一昨日に引き続き、というより、
一昨日にも増して、私が「呆れてものが言えない」と思ったことについて、この場で「吠え」ます。
 「暴言」吐きます。

 一昨日と同じく、「そのような記事」でも
「お許しくださる方」のみ、
以下をお読みいただければ幸いです。










 単刀直入に。
 昨日、私が呆れ果てたもの、それは
「この状況下で、いまだに堂々と授業を継続する
中学受験塾」。



 目下、1ヶ月前とは日本におけるコロナウイルス感染の状況が大きく変わっていて、
「まずは、とにかく感染爆発を食い止めなくてはならない」ということが喫緊の大きな課題であると、
誰の目にも明らかで、疑いの余地も無いところ。

 欧米の悲惨な状況も、随時ニュースで流されています。
 それは決して他人事ではないと。
 海の向こうの彼ら彼女たちは、必死に訴えてくれている。

 日本で、感染拡大より先に「医療崩壊」が迫っているのも事実。
 経済の問題も大きいけれど、それ以前に「命」が無ければ経済の話すらできないのは、もっと明白な事実。

 今、日本が皆で皆の命を守るには、極力外出を控え、「3密」を避ける。
 その方法が完璧ではないとしても、今の日本の、
とりわけ首都圏での最良の方法であることは、恐らく間違いない。
 少なくとも、感染者数の増加が鈍化するまでは。

 そこには、自分の命を守ることだけではなく、
「社会の、他者の命を守る」ことも含まれていて、
社会の皆で協力することが必要。
 自分が病気にかからないことだけではなく、
「他人にうつさない」という「配慮」と「想像力」。
 今、この日本で生きる子どもたちには、
今だからこそ、そういうことを体で学んでほしいと
私は思う。





 しかし、綺麗事の好きな中学受験塾は、
「2ヶ月間も、子どもたちの学びを止めてしまって
よいのでしょうか」などと、
自分たちが社会の風潮に楯突く正義のようにのたまっている。
 そして、「このままでは、日本を支える人財を育てる教育が途切れてしまう」と。





 はあ?????


 子どもたちも「社会の一員」として「協力」しないと、
もはや立ち行かない状況ですが?


 「命」がどれほど大切かを「学ぶ」ことも
「教育」、
こんな時だからこそ、社会の動きに目を見開き、
耳を傾け、
「どうやって生き抜いていけばいいのか」と
自分の頭で考えられるように導くことこそが
「教育」「学び」
だろうが!!!!!


 それだけの「生きた強い頭」をつくっておけば、
教科の勉強は、後からでも追いつけるよ。




 言葉遣いが「暴言」と化してしまい、
失礼いたしました。
 最後までお読みくださった方、
誠にありがとうございました。