「塾のための塾」という闇(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日もまた、Myツイッターアカウントにおける最新ツイートを転載します。9連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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#学び #教育
大手進学塾を退職してから3年が過ぎた。在職中には、その塾の中学受験部門で看板講座のトップチームの一講師として授業を担うなど、貴重な経験も積ませてもらい、そのことには深く感謝している。
しかし個人的には、「心」を求めて職を辞し、途中では野良犬のようなことをしつつも、「心ある学び」に賛同してくださる方が一人、また一人と集ってくださるに漕ぎ着けたことを実に感慨深く、心底良かったと思う今である。

ここ一年ほどは #塾漬けはダメ ということの発信がマイブームだったが、今それに続くのが #塾のための塾はダメ ということ。
向こう一年くらい、新たなマイブームとしてポツポツ発信していくかもしれないが、「塾のための塾」というのは「塾漬け」を上回る怖さがある。
なぜなら、一言で言えば「準備のための準備」ということであり、本来自発的な欲望であり行動であるはずの「学び」がますます機械的で受動的なものになっていく、いや、成り下がっていくことを全力で助長することになるからだ。

また、この3年の間に実際にあった話。
6年生の春に中堅(規模)の塾を辞めてから私のところに通うようになった子がいたが、社会科で「考える」問題に取り組む場面が来る度に、二言目には「こんなの(前の塾で)習わなかった(から、知らない)」と言う。
「勉強なり学びなりというのは、他人の言いなりになってするものではない。その姿勢では結局何も身につかない」ということを悟らせるため、私は手を替え品を替え、少しでもその子の「心」に響かせたいと声かけも工夫したが、私の願いは叶わなかった。
その子は2学期に入っても家でゲームばかりしていて、親御様も含めて話し合いを重ねた結果、中学受験を回避するに至った。
話し合いの過程で、私のところに来る前にあった様々な問題が浮き彫りになったが、私の言葉で率直に言うなら「親子で中学受験を誤解していた」ことが最大の痛手であり、そのように導かれてしまったのは「前の塾」の力が大きかった、ということ。

学校教師のモラル的問題がしばしば取り沙汰される昨今だが、「心無い」塾のありさまも相当酷い。
しかし、そのことに異論を唱えたり表立って声をあげたりする保護者様は少ないと感じる。
それは、「お金を積めば『合格』が『買える』」と盲目的に信じて(信じ込まされて)いる人が多いからだと私は思う。そして、合格さえ手に入れば、あとはどうでもよいと。
でも、それではエセ宗教と同じ。
だから、「カリスマ」講師なんていう言葉も出てくるのだろうが、「勉強は宗教の対極にあり、カリスマについていくことではない」旨をしっかりと発言する受験指導者もいる。
私の意見も同じである。
#思考力
#勉強 #受験



★上記ロングツイートのトップのURL
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