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料飲サービス指導 & 難関中学受験指導 「二刀流」の大竹智子が主宰する『桜梅塾』のブログです

桜梅塾「6年生の国語のコース講座」Webページ内一部リニューアル! ~桜梅塾は『塾漬け』という社会問題に、真剣に取り組んでまいります〜

皆様、こんにちは。


 私が主宰している中学受験の個人塾『桜梅塾』は、
ストアカ(ストリートアカデミー)のWebサイトを
受付窓口として運営していますが、
随時、各講座のご案内ページのリニューアルを
行っております。

 今回は、6年生の国語のコース講座のうち一つを
リニューアルいたしました。

 そこでは、もはや社会問題の域に達していると
私が考えている『塾漬け』問題にスポットを当てながら、
お子様方が中学受験を有意義な学習経験として
学力を高めるためのノウハウについて、私の信念と
思いの丈を綴っております。

 『塾漬け』というのは、昨年の終わり(12月)頃から
私が掲げている言葉で、
「週に5日、6日といった頻度や長時間拘束での
過度な塾通いにより、
受験生の心身に何らかのマイナスの影響を生じさせたり、
かえって学力が伸び悩んだり低下したりする」
ことを指しています。


 今は中学受験の新年度がスタートしたばかりの
タイミング、
いわゆる「新規営業や集客」という視点で考えるなら、
世間の闇とも言えるような部分には触れず、美辞麗句を
並べるほうが賢明である、というご意見もあるでしょう。

 しかし、その一方では、現在の多くの中学受験塾の
在り方に疑問を抱いている保護者様も少なからず
いらっしゃるであろうと存じます。
 さらには、疑問を抱きながらも、それを声にして発する
ことの許されない状況に陥ってしまっている方々も
いらっしゃるはずです。

 このままでは、子どもたちが危ない。

 加えて、私は自身の中学受験も含めた人生経験から、
「中学受験」と密接な関係にある「日本という国の未来」
に対して、目下、大いに危惧しております。

 ゆえに、たとえご批判があろうとも、正直に拙意を
書き記すことこそが、仮にも教育に携わる者の端くれ
としての責務である、との考えから言葉を発して
まいります。





 以下、今回リニューアルした講座案内からの転載です。
(転載元:「中学受験の国語 ~6年生 4回コース~ 『文学的文章』」講座ページ↓
https://www.street-academy.com/myclass/51871





★★★中学受験を目指す6年生のお子様が、
自立して志を強く持ち、
さらに自律しながら「学び方」を
確立できるように。

そして、
人生で一度きりの少年期に
自ら選んだ中学受験勉強の月日、年月を、
一生の糧となり、いつでも誇りに思える
かけがえのない経験に
できるように。

この4回コースでは、物語文・小説文などの
「文学的文章」を中心に学びます。★★★


【「学ぶ」こととは、自分の力で「生きる」こと。
 だから、
 『塾漬け』にならない、中学受験。】

 「毎日のように塾に通っているのに、
成績が上がらない」のは、
本来、当たり前です。
 しかし、
「中学入試の3ヶ月前まで」なら、
その気になれさえすれば
「勉強の仕方」を変えることにより、
「成績が上がる可能性を見出す」ことができます。

 * * *

 この少子化時代において、大手や準大手の進学塾による生徒の「囲い込み」は激しさを増す一方です。
 低学年のうちでなければ入塾を受け付けなかったり、一度入ったら簡単には辞められなかったり、といったシステム。
 そして、学年が上がってくると、至極当然のこととして週に5日、6日の塾通い。
 夏だけにとどまらず、学校の授業曜日をぬって秋にまで、合宿。
 このような塾が巷に林立しています。


 昨年のある日の、6年生の授業でのこと。
 その日は、家庭学習の仕方の相談も兼ねて、保護者様が授業に同席してくださっていました。
 その受講生は、週に5日以上は集団塾に通い、空いている日を使ってダブルスクールで私の授業を受けに来ていたお子様です。
 すると、授業が終わるころに保護者様がおっしゃったのは、
「私は(中学受験を)しなかったんですけど、うちの子を見ていると、毎日塾に通って、今の中学受験って本当に大変なんだなぁ、と思います」
とのお言葉でした。


 それを聞いた私が思い及んだのは
「『大変』の、意味が違う」ということです。

 勉強において必要であり重要な『大変さ』というのは、「授業を受けたり他人から拘束されたりするために、過度に多くの時間を奪われること」ではありません。

 なぜなら、勉強とは、本来「一人でする」もの。
 外界から自分の中に入ってきたものを、自身の内面での思考錯誤によって腑に落ちるまで反芻し、自分が納得したものを自分の言葉で表現できるようになるまで、さらに思考錯誤を積み重ねるという、「自分の内面で」行う営み。
 それこそが「勉強」という言葉が純粋に指し示すところであるからです。

 ゆえに、「勉強する」「学ぶ」うえで『大変』なこととは、
「自分が『できる』」ようになるための
「孤独な『自分自身』との『内なる』闘い」です。
 それは、「拘束時間の長さ」という『大変さ』とは対極に存在します。



 授業は「受ける」ものです。
 それは、授業というのが文字通り「受け身」の行いであることを意味します。
 いわゆる「インプット」です。
このインプットは外界から知識や情報を取り込む行いですから、良い授業を受けるということにより質の高いインプットを行うことは可能になります。

 しかし、「できる」というのは「アウトプット」の行いを指します。
 誰に何を言われることなく、助言を与えられなくても、自分の内面にある知識や経験を自分の力で紡ぎ、他者に伝わるように言葉を駆使して発信することがアウトプットですから、
「自分独り」で練習しなければ、いつまで経っても永遠に、できるようにはなりません。
 このアウトプットは、完全に「一人の人間の内面」から起こるものですから、他者が手を貸すことは物理的に不可能です。
 その人自身の、内面から湧き起きる力に、すべてが委ねられます。

 言うまでもなく、入試で試されているのは、このアウトプットの能力です。
 だからこそ、入試でいかんなく発揮できる力を養うためには、インプットよりもアウトプットの練習により多くの時間を割く必要があります。
 つまり、「授業を受ける」時間よりも「独りで勉強する」時間を長く取るほうが、
学力は伸びる、頭が良くなる、ということです。


 また、一般的に、インプットとアウトプットを同時に行おうとすると、無理が生じます。

 大人の世界でも、その二つを実際に同時に行っているような仕事といえば、同時通訳くらいではないでしょうか。
 その同時通訳でさえ、8割程度は事前の準備で決まると言われていますから、人間の脳は構造上、インプットとアウトプットの両方の質を高く維持しながら同時進行するようには作られていない、ということなのでしょう。

 すなわち、適切なインプットの後に、じっくりと時間をかけて繰り返しアウトプットの練習を行うことで、初めて学力が向上する。
 専門の脳科学者ではなくても、真摯に勉強に取り組んだ経験を持つ大人が冷静になって考えれば、すぐにわかるメカニズムではないかと思います。



 しかし、私が申すところの塾漬け、つまり「拘束時間の長さ」を自慢にしているシステマティックな塾は、
その「人間の学習のメカニズム」の重要な真理には気付かせてくれません。
 それどころか、そのレールの上に乗せた人に考えるスキを与えないように、ジェットコースターのごとき勢いで年間予定表の上を爆走していきます。

 そのような塾の年間予定表には、背筋が寒くなるものが少なくありません。
 その「過密」な「授業」スケジュールは誰のためにあるのか? と見極めたとき、それは子どもたちのためではなく、
この少子化時代に会社を、塾をつぶさないようにと、我と我が身を守るためにある、ということが、
残念ながら、しばしば見受けられます。
 私もかつては大手進学塾に勤務していましたが、その壮絶な現場には、思わず目を覆いたくなるものもありました。



 ですから、
真剣に純粋な気持ちで中学受験を目指しているお子様を、
サポートする立場にいらっしゃる保護者様には、ぜひ、改めて考えていただきたいのです。


 子どもたちの「脳力」を最大限に高めるために、微力ながらも大人として、先達としてできることは何か?

 その問いに真摯に向き合っている中学受験指導者であれば、
子どもたちの拘束時間を最小限に抑え、
子どもたちが自ら積極的に学ぶ意欲を高め、独りで学んでいくための良い「方法」を伝えるために、心を砕きます。

 質の高い、濃密な、できるだけ短い時間でのインプットと、
高い集中力の維持できる範囲の量・時間で、「自ら考える」力を存分に使ったアウトプット。
 これらを交互に行うことが、「学ぶ喜びと楽しさ」とともに、
志望校合格へと着実な歩みを進めるための最良の方法であると、
私は考えております。


 
 勉強における「孤独な『自分自身』との『内なる』闘い」。
 この辛さ、厳しさこそは勉強の真の大変さであると同時に、
辛いだけ、苦しいだけで完結してしまうものではありません。
 乗り越えた先に知的な喜びや楽しさが確かに存在し、その喜びや楽しさを得て味わうために挑む、望むべき壁なのです。