内申点制度があろうとも(Myツイッターを元にアップデート)

皆様、こんにちは。

 今日は、Myツイッターアカウントの最近のツイートをアップデートのうえ転載します。元は9連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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「高校受験の内申点制度には不条理なところがあるから、一発勝負で透明性のある中学受験がおすすめ」という説が近年、巷を闊歩している。
確かに、この説には一理はあるが、「だからといって、中学受験に向いていない子に無理矢理中学受験をさせると、『一生』ダメージを追わせる」ことにも繋がると私は考えている。
(参考記事: https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1282664300813807617

 私は大手進学塾勤務時代に高校受験の指導も兼任していたことがあるが、この経験は今、独立して中学受験に特化した仕事をするうえで大変貴重なものとして役立っている。
たとえば、中1のトップクラスを担当していたとき、「中学受験でおさえ(滑り止め)の学校には受かったが、高校受験でもう一度やり直したい」と「自分の意志で」決めて「親に頼んで」やらせてもらうことにした、という子たち何人かに出会ったこと。
これこそ正に、私が全力でダメ出しする「親による中学受験」とは対極に存在する受験。
その子たちは「自分の意志で」内申制度があっても「高校受験」での「再挑戦」を決めていたくらい、「自分の足で歩いて」いたので、(中学受験の結果と比べ)中1になってから伸びた。
「内申制度をひたすら怖がる親に、『受け身の勉強』を染み込まされたまま大人になっていく子」と「内申制度にも立ち向かい、自分の意志で自分の道を決めていく子」。
社会に出て活躍できるのはどっちだろう?

 私は、中学受験の最大の目的は「(中学受験に適性のある子が)その子に合う環境で青春時代『6年間』を過ごす」こと「そのもの」であると考えている。
しかし、「内申制度に引っかかる前に……」という親御様はたいがい、「できるだけ楽していい大学に入ら『せる』」ことが目的の約99%である。
厳しい言い方かもしれないが、要は、全てに対して「受け身」であり「逃げ腰」なのだ。

これは決して他人事ではない。
現に「指示待ちしかできない若き社会人」が増えている問題はあちこちで指摘され、周りの人たちに無関心で「冷たい個人主義の日本人」が増えていることを示す統計も上がっている。日本社会がその方向に進んでいけば、やがては日本人が皆、ギスギスした心の乾いた状態で生きることを余儀なくされるだろう。
その背景に潜む「親による中学受験」は、このような「受け身」で「逃げ腰」な日本人の増殖に一枚どころか数枚以上は噛んでいると、私は四十年以上の人生経験によって実感している。

「皆が、社会が、子どもたちを育てる」という古き良き昭和の時代は、もはや遠くに去りにけり?
だとすればなおさら、中学受験をドラマのように美化して盛り上げている場合ではないと、私は切実に思う。

#受験 #中学受験 #高校受験



★上記ロングツイートのトップのURL
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https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1334863058355724290

12月13日(日) 親子ワークショップ講座、お申込み受付開始しました!

皆様、こんにちは。

 本日は、今年2月以来の「親子ワークショップ」講座開講のお知らせです。

 このブログの以下のリンクをご利用いただきますと、
受講料が10%引となります。
 ご興味がございましたら、ぜひ講座ページをご覧くださいませ!
 どうぞよろしくお願いいたします。


★親子ワークショップ講座
 「親子で学ぶ『中学受験』 ~思考力と人間力が、合格への道しるべ~」
 ↓
https://www.street-academy.com/myclass/43276?conversion_name=direct_message&d_code=XM66Yggi&tracking_code=1c1a7cdf8c61e1b399c17211e1a9e11d

「褒める」ときは「行為」に対して(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日もまた、Myツイッターアカウントより最近のツイートを転載します。3連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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「褒める」ときなど、自分以外の人に評価的な言葉を発するときは、その「人」に対してではなく「行為」に対してするのがポイントであり原則であると私は肝に銘じている。
(参考記事: https://toyokeizai.net/articles/amp/289224?__twitter_impression=true
しかし、これを実践するとなると、日本語の感覚では実は結構難しいので、それが板に付くまでは意識して実践することが重要だと言える。(たとえばフランス語だと文法的に明確化しやすいので、他の「人」を安易に評価しないという感覚は身に付きやすいと思う。)
大人世界でも「あるある」な話で、建設的な議論につながる批判をするのではなく、他「人」を「非難」して得意満面というのはSNSでもしばしば問題になること。
そして、その陰に、子どもの頃に受けた心の傷が隠れている、ということもある。
#教育 #子育て #自己肯定感



★上記3連ツイートのトップのURL
 ↓
https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1330888567208386561

「塾のための塾」という闇(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日もまた、Myツイッターアカウントにおける最新ツイートを転載します。9連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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#学び #教育
大手進学塾を退職してから3年が過ぎた。在職中には、その塾の中学受験部門で看板講座のトップチームの一講師として授業を担うなど、貴重な経験も積ませてもらい、そのことには深く感謝している。
しかし個人的には、「心」を求めて職を辞し、途中では野良犬のようなことをしつつも、「心ある学び」に賛同してくださる方が一人、また一人と集ってくださるに漕ぎ着けたことを実に感慨深く、心底良かったと思う今である。

ここ一年ほどは #塾漬けはダメ ということの発信がマイブームだったが、今それに続くのが #塾のための塾はダメ ということ。
向こう一年くらい、新たなマイブームとしてポツポツ発信していくかもしれないが、「塾のための塾」というのは「塾漬け」を上回る怖さがある。
なぜなら、一言で言えば「準備のための準備」ということであり、本来自発的な欲望であり行動であるはずの「学び」がますます機械的で受動的なものになっていく、いや、成り下がっていくことを全力で助長することになるからだ。

また、この3年の間に実際にあった話。
6年生の春に中堅(規模)の塾を辞めてから私のところに通うようになった子がいたが、社会科で「考える」問題に取り組む場面が来る度に、二言目には「こんなの(前の塾で)習わなかった(から、知らない)」と言う。
「勉強なり学びなりというのは、他人の言いなりになってするものではない。その姿勢では結局何も身につかない」ということを悟らせるため、私は手を替え品を替え、少しでもその子の「心」に響かせたいと声かけも工夫したが、私の願いは叶わなかった。
その子は2学期に入っても家でゲームばかりしていて、親御様も含めて話し合いを重ねた結果、中学受験を回避するに至った。
話し合いの過程で、私のところに来る前にあった様々な問題が浮き彫りになったが、私の言葉で率直に言うなら「親子で中学受験を誤解していた」ことが最大の痛手であり、そのように導かれてしまったのは「前の塾」の力が大きかった、ということ。

学校教師のモラル的問題がしばしば取り沙汰される昨今だが、「心無い」塾のありさまも相当酷い。
しかし、そのことに異論を唱えたり表立って声をあげたりする保護者様は少ないと感じる。
それは、「お金を積めば『合格』が『買える』」と盲目的に信じて(信じ込まされて)いる人が多いからだと私は思う。そして、合格さえ手に入れば、あとはどうでもよいと。
でも、それではエセ宗教と同じ。
だから、「カリスマ」講師なんていう言葉も出てくるのだろうが、「勉強は宗教の対極にあり、カリスマについていくことではない」旨をしっかりと発言する受験指導者もいる。
私の意見も同じである。
#思考力
#勉強 #受験



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https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1329316341543706625

受験生の「かわいた心」(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日も、Myツイッターアカウントにおける最新ツイートを転載します。6連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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前回ツイートの「トップアスリート」のみならず、私の仕事の領域で見る「受験生」においても「心」が「かわいている」と感じることは少なくない。

ここで言う「かわいている」はもちろん、「渇いている」ではなく「乾いている」のほう。本来、というか生来「学び」とは「生きることへの渇望」を具現化したものであると私は考えているので、「渇いた心」で没頭してこそ学びと思う。しかし、目的が別のところに置かれてしまうと、学びは無味乾燥なものに成り下がってしまう。

中学受験塾のなかには、教室での座席を成績順できれいに並べる塾があるが、私はこの指導方針には賛同できない。
なぜなら、そのような教室で日々学んでいると、学びが「他人にマウントを取る」ための手段や道具に化してしまうリスクが高いからだ。「わからなかったことがわかり、できなかったことができる」ようになったときの悦びや小さな感動が見損なわれ、学ぶことがひたすら「他人との競争」とイコールになってしまいがちである。

確かに、入試は他人との競争であり戦いであり、悪く言えば蹴落とし合いとも言える。しかし、その入試に至るまでの長い道のりは「自分との闘い」であるがゆえ、途中では他人を気にし過ぎず「自分の学びの悦び」に没頭する子のほうが、最終的に「入試も良い結果」に結びつくことが圧倒的に多い、という逆説的な事実がある。これは、私が大手塾に勤務していた頃にも、独立して以降にも経験している。

学びなり勉強なり、仮にも「教える」立場にある人間は、「渇いた心」が乾ききらぬよう「自分と向き合うすべ(術)」こそを教えるのが大切な務めと思う。
#学び #勉強 #心 #塾漬けはダメ



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https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1323996401844461568

トップアスリートの悲しいニュース(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日も、Myツイッターアカウントにおける最新ツイートを転載します。3連打ツイートですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
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ハンドボールに詳しいわけではない私でも知っていた選手の、ショッキングなニュース。
日本代表復帰への厳しい戦いの途中で、コロナによるオリンピック延期の決定など、精神的に辛いことはたくさんあったと思う。しかし、逮捕されてしまっては、全てが水泡に帰してしまう。

このツイッターアカウントでは今までに触れたことはなかったと思うが、私自身、小学生のときからずっとスポーツをやっていて、大学でも2年の終わりまで体育会に所属していたくらい、もともとスポーツ好きなので、「トップアスリートの凋落」と言われるような話を知ると、心が痛い。

トップアスリートならではの孤独などは、一般人の想像を絶するものと思われるが、それに耐えることも選ばれし人間の使命という気がする。
と同時に、技術的には卓越していても、それを支えるだけの「心」を持ち合わせるには至らなかったのかと思うと、ひたすら悲しい。
#アスリート



★上記ロングツイートのトップのURL
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https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1323251808760860672

世代を越えて受け継がれるべき「学びの原点」のことなど(Myツイッターより転載)

皆様、こんにちは。

 今日は、Myツイッターアカウントにおける最新ツイートを転載します。ロングツイート(8連打)ですが、このブログにおいては一連の文章として記載します。
 元々ツイッターに思いつくまま書き連ねたものなのでタイトルは無かったのですが、中学受験指導者としての目線も交えての、今年問題となった9月入学案のことなども振り返っての文章であり、「学びの原点」についての持論をめぐる話といったところです。
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芸能人の「マツケン」と聞いて、「松平健」を思うか「松山ケンイチ」を思うかは、ズバリ #ジェネレーションギャップ だと感じる。
最近、教え子(10代)と雑談していたとき、さりげなく「マツケンが……」と言われた私は、一瞬思考停止しかけた後「あ、松山ケンイチね」と解釈したけれど、40代の私にとって「マツケン」は何がどうあっても揺るぎなく「松平健」。
私はドリフ世代でもあるので、子どものころの「土曜の夜8時」と言えば「全員集合」が大好きだったけど、家の中でのチャンネル争いもあったりしながら、「暴れん坊将軍」もよく見ていた。「土曜の夜8時」に白馬に乗って颯爽と画面に現れる、松平健さん扮する将軍・徳川吉宗は、小学生の私にとって一つの憧れだった気がする。
が……現在20代以下の世代にとって、「マツケン」が「松山ケンイチ」であることに迷いやためらいは無いんだろうなぁ。
この境目って30代なのかな?
その教え子に「ね、松平健って知ってる?」と聞いたら案の定「誰ですか? その人」と返ってきた(笑)。そして、「暴れん坊将軍」愛をいきなり熱く語り出す私(爆)。

歳を重ねても色褪せない思い出は大事に抱えておくのがいいと思うし、と同時に、「今どきの若者」たちの間で何が流行っているのか常にアンテナを張っておくのも大事。なぜなら、その二つの使い分けができるのはお洒落でもあり、人生を楽しく豊かなものにしてくれることにも繋がるから。
さらには、その先で「時代が変わっても変えてはいけないものを守り、時代とともに変わらなければならないものを変える」ことにも繋がるから。
私が #未来永劫4月入学 を掲げるのも同じこと。それは、たとえば年金制度のような純粋に人為的な制度ではなく、日本の地理的環境、気候・風土やそこに暮らす日本人の生物学的性質とともに存在するもの。
すべての学問は「より良く生きる」ために存在するのだから、日本の国土をの「在り方」に一瞥もくれずに論じている時点で既に、それは「日本人の学び」ではない。常に「土地」そのものに根差していて初めて「学び」と言える。

 私は、「学びの格差」の大きな原因の一つは「勉強嫌いの子を続々と生み出す、世の数々のシステム」であると考えており、この改善が一歩ずつでも進むようにと日々奮闘中。
中学受験勉強も、スタートの3、4年生のころに「勉強は楽しい」という感覚が身につけば、その後の人生が変わる。
でも、現実を見渡すと、「勉強という『苦行』に耐えられる自分カッコイイ」みたいな塾講師が、実は少なくない。
#塾漬けはダメ



★上記ロングツイートのトップのURL
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https://mobile.twitter.com/OhtakeTomoko/status/1322479986066944000