皆様、こんにちは。
まずは昨日の続編的に、
私が大大大好きで、
やっているときに
理屈抜きで幸せを感じる
“テイスティング”
のお話です。
私は仕事として、プロとしてテイスティングを行っているほか、
プライベートでもテイスティングをしながら飲み物を楽しみますが、
“テイスティング”は、人を人たらしめる
ものの一つであると私は常々考えています。
※昨日のテイスティング記事はこちら↓
https://www.bardetomoko.com/entry/2023/01/15/214112
人間の五感とそれらに連動する感覚は、
生身であるヒトの、生体の、
血の通った肉体によってのみ生成される唯一無二のものなので、
人間の知能を凌駕するAIが普遍的な存在となる日が来ても、
究極のテイスティングは、人にしかできない
と言えるのです。
これ(次の話)は、私のオリジナルでも何でもなく、さまざまな方々が異口同音におっしゃっていることですが、
世の中、そして世界には、
時代とともに変わらなければならないことと、
時代が変わっても変わらない、変えてはいけないことの
両方があります。
テイスティングは、
機械やコンピュータが取って代わることができないものであるばかりではなく、
人が人らしく生きるための貴重な技
でもあります。
この先、ICTやAIのさらなる進化によって
人間は動かなくていい、
面倒なことはもちろん、あれもこれもやらなくていい、となった時、
ただそれだけに溺れてしまえば、
いよいよ、やることもできることも無くなっていき、
人は何のために生きているのか?
ということが
わからなくなってしまうでしょう。
血の通った五感を研ぎ澄まし、
香りと味を堪能して、再現する。
これは、
人にしか成し得ない業。
飲み物も含めた「食」の喜びを深く享受することは、
人だけの持つ特権
とも言えます。
まさに
「テイスティングは叡智の結晶」であり、
極めて知的な行為、
技であり業
なのです。