管理、管理のオンパレード

皆様、こんにちは。

 突然ですが、私はただ今「試験勉強期間中」です。
 今年は複数の資格試験に挑戦することに決めていて、年明けからここまでは順調に来ていますが、年末までまだいくつものハードルを自分の先に設けてあります。
 ちょうど今、一つの「試験直前期」に入っているため、少し仕事をボリュームダウンしながら、勉強との両立を図っているところです。

 ……というところではありますが、一昨日ブログなどの「プロフィール写真」を更新したのに合わせて、ブログそのものも更新するべく、ちょこっと記事も書こうかな、なんて思いながら、

軽くネットサーフィンをしていたら、

結構怖いもの

を見てしまって😓😓😵😓😓😵😓😓😣

 私には怖すぎて、ここに書き留めてガス抜きしないと、勉強にも身が入らなくなりそうなので、
今日は当初の予定とは別の記事をサーッと書くことにします。



 私が今日、怖い((((;゜Д゜)))
と思ったこと。
 それは、日々の学習の一つひとつを逐一、親が管理、監督する中学受験。

 そういう方々のSNSを拝見すると、

………やらせる………。

やらせたのに……………、

……やらせないと……!

……………やらせているけど……

やらせる。

やらせる。

やらせる。

 もう、管理、管理のオンパレードなのです。
 正直、身の毛がよだつほどの恐怖を感じ、心が震えるほど恐ろしくなりました。

 子どもが羽交い締め。

 もちろん、私は中学受験の仕事をしていますし、自信も中学受験の経験者ですから、「そのような闇」がこの世に存在することは前々から知っています。
 ただ、今回そこまで心が震えたのは何故かと考えると、理由はいくつか思い当たります。

 自問自答。

 一つには、そういうものが目に触れると、自分の心が「やられる」から、そういうネットページには深入りしないように、今までは心掛けていた、ということ。
 いわゆる、「有名人が自分の悪口が書かれているサイトは見ない」というのと同じ身の守り方。

 次に、じゃあどうして今回は深入りして見たのか?となると、
今、私がコーチングやカウンセリングについてもいろいろ勉強していて、「今以上に、もっと人の役に立てる中学受験指導」ができるようにと考えていると、
いよいよ「マイナス情報の収集」も大事になってくるから、避けて通れないと思った、ということ。
 つまり、我が事ながらカッコ良く言うと、「自分の仕事へのプロ意識」が高くなったから苦しいことにも立ち向かおうという気になった、ということ。
 これは、独立して仕事をするようになったことと大きく関係していて、勤務講師としてこういう意識を持つのは至難の業だったと思う。

 そして最後に、多様なSNSが普及するなかで、従来であれば他人の目につくところには出てこなかったはずの「闇の言葉」さえも、軽く簡単に発信できてしまうようになっている、という環境の変化。

 かくして私は、そのような方々の中学受験への日常の様子を垣間見たのですが、
私が気になるのは、

子どもはどんな表情をして日々を過ごしているのだろうか?

ということです。

 おそらく、澄んでキラキラと輝いた目はしていないでしょう。
 なぜなら、人から「やらされ」てばかりの毎日だから。

 そのような方々のSNSには、将来の「夢」「希望」「目標」は出てきません。
 しかし、もし仮に、「それらが大切」などと私が申し上げようものなら、

「受験は受かることが目的。それ以外のことなんか関係ない!!!!!」
と烈火のごときお叱りを頂戴することでしょう。


 私、以前に(ここ1年以内の、昨秋のことですが)とある「中学お受験ママ」から直接、面と向かって言われたことがあります。

 「塾の先生っていうのは、『社会の落ちこぼれ』じゃないですか? だって、それだけの学歴とかあったら、他の仕事をするとか、学校の先生になるとかできると思うのに、塾の先生をやっているっていうことは、何か人間的にも問題があって、社会から落ちこぼれているから、そういう他の仕事に就けないってことですよね?」

 自信満々にそうおっしゃるのですが、

その「中学お受験ママ」は子ども二人を大手進学塾に通わせ、

つまり、
「社会の落ちこぼれ」である塾の先生たちに多額の札束を積み上げていらっしゃいました。

 もう、正気の沙汰ではないですね。狂気です。何かに取り憑かれているとしか思えません。私には。
 どうして、自分が「社会の落ちこぼれ」と思って見下す連中に、平気でそんなにお金を払えるのか。

 その「社会の落ちこぼれ」という言葉を受けてから約2ヶ月後、私はその「中学お受験ママ」より「(中学受験への)アドバイスをください」というご連絡をいただきました。
 どうやら、通っている塾の担当講師陣が頼りにならない、ということのようなのです。
 でも、私は

丁重にお断りさせていただきました。

 子どもを羽交い締めにしているし、
受からせてくれれば何でもいい、と考えているし。
 それに対して何かちょっとでも触れてしまおうものなら、私の身に危険が及ぶ、という恐怖を感じざるを得ませんでした。
 ですから、申し訳ございません。


 残念ながら、長い人生、
受験に受からせてくれれば「何でも大丈夫」というわけなどありません。

 私はかつて、専門学校の講師を務め、18歳から20歳、もしくはそれより上の年齢の学生たちに教えていたこともあるので強く感じるのですが、

「三つ子の魂百まで」こと、
「少年期の学習姿勢墓場まで」

というのが現実です。


 私が中学受験指導で大切していることの一つは「真心」です。

 子どもは、親とは違う、「独立した人格」を持った「一人の人間」です。
 ゆえに、首に縄をつけて管理しなくても、見守って「サポート」しながら「健全な社会」のなかを泳がせてあげれば、「自分の力」で立派に育っていきます。

 でも、そうして子どもを羽交い締めにしてしまう親のほうも、もしかしたら何かの被害者なのかもしれない。

 とはいえ、今の私には一瞬で社会を大きく動かすだけの力は無いですから、愚直にコツコツと目の前にあることから取り組んでいくのみです。



 それでは、今日はこのへんで失礼いたします。
 さぁ、勉強するぞ!! 自分のために。