ストアカサイト内の、桜梅塾「教室ページ」リニューアル! ~『塾漬け』にならない中学受験を、しよう。~

皆様、こんにちは。

 日本のいたるところで、コロナウイルス対策によるイベント中止や学校の休校措置が講じられていますが、
桜梅塾では衛生面に普段以上の注意を払いながら、講座は通常の形式にて現在も開講しております。
 社会全体がウイルス対策による大きな影響を受けている現在の状況において、子どもたちの学びや遊びの場をいかにして確保するかという問題に対する答えも、一つとは限りません。
 よって、予定通りの受講をご希望の方、受講日程の変更をご希望の方、それぞれのご状況に合わせて柔軟に対応しております。
 また、新規の受講のお申し込み・お問い合わせも継続して受け付けております。ご興味のある方は講座窓口のストアカサイトよりアクセスしていただきますよう、お願い申し上げます。




 さて、今日の本題は、
ストアカサイト内の、桜梅塾「教室ページ」リニューアルのご案内です。

 昨年は、この「教室ページ」には私の中学受験に対する「とらえ方」をざっくり書くところまでだったのですが、

今年は、「『塾漬け』にならない中学受験」を推進していくという決意のもと、
その自分の哲学が生まれた背景や経緯の概要を公開することにいたしました。

 もはや、中学受験においては『塾漬け』が疑いの余地の無い常識であるかのように社会を闊歩し、それに異論を唱えることは悪と断じるかのような風潮さえあります。
 しかし、私は自身の経験から、現在のような『塾漬け』は広くさまざまな弊害をもたらすものの、お子様の未来にも日本の将来にもプラスにはならないと理解しております。
 そして、強い信念でそのことを訴えていくからには、「名無しの権兵衛」ではなく、そこにまつわる自分の経緯を明らかにすることも責任の一端と考え、
この度、「教室ページ」の後半部に【追記】として記載いたしました。

 また今後、折に触れてさらなるリニューアルをすることもあるとは思いますが、
今回記載の内容を2020年度版として、自分の心も整え、
より一層充実した講座運営を行っていけるよう、研鑽を積んでまいります。





 以下、今回リニューアルした「教室ページ」からの抜粋転載です。
(抜粋転載元:ストアカサイト内 桜梅塾「教室ページ」
 ↓
https://www.street-academy.com/steachers/176846





【追記:『塾漬け』にならない中学受験を
        推進する私の「バックボーン」の概要】

 小学1年の頃よりスイミングクラブに所属、5年に進級するのと同時に選手コースに上がり、東京都大会などに出場。
 夏休みには週に6日、朝練と夕練の2回ずつ練習をこなしながら、中学受験に向けての勉強も進める。
 掲げた言葉は「文武両道」。
 塾通いは6年の夏期講習から。徐々に泳ぐ日数を減らしながらも、6年の11月まで週に2回は選手コースでの練習を続け、中学受験では第一志望校に合格。

 中高一貫校の部活にて、在学中に水泳からバスケットボールに転向。
 高校2年の3学期で部活が終了した後は、地域のバスケットボールクラブチームに所属。高校3年の12月までプレーを続け、大学受験では第一志望の大学・学部に現役で合格。
 中高6年間は完全に塾無し。

 スポーツと学科の勉強の両立に努めるなかで実感したことは、
「学科の勉強のほうが、隙間時間を使いやすく、一度身につけると衰えにくい」ということ。

 小・中・高の通算12年間、学校を皆勤。高校卒業時には校内にて特別表彰。

 大学では2年のシーズン終了まで体育会のバスケットボール部に在籍、シーズン終了後に選手引退。

 その後に始めたレストランでのアルバイトがきっかけとなり、大学卒業後は料飲(飲食)のプロの道へ。
 もともとお菓子作りや料理が好きだったことや、「表現」することが好きだったことからつながった道。作家を志して大学で学んだことは、その道へと進むにあたっても大いに役に立ったと、今も深く感謝。

 現在(2020年)、料飲の世界では、大学在学中の20歳でのスタートから数えて27年目。〔飲料系の専門資格を多数保有

 30代の頃、専門学校や社会人の専門スクールでの講師も務めるようになり、教育や学びに対する意識が高まる。
 そのなかで気付いたことは、広く社会のどの分野に進んでも、少年期の「学びの姿勢」「勉強の方法」が一人ひとりの仕事の仕方や社会性、さらには「人となり」に深く結びついている、ということ。
 そこから「社会の多方面に、学ぶ意識の高い『人財』を増やし、日本の社会や文化の発展に寄与したい」との思いが強まる。自身の中学受験の経験を振り返って、中学受験と日本の社会の関係性について改めて認識し、中学受験指導の仕事にも携わるようになる。

 ゆえに「料飲のプロ」であることと「中学受験指導者」であることは私のなかで深く結びついており、「同じコインの裏表」と言える。
 社会での実務経験を積むことで中学受験指導まで仕事の領域を広げたため、「受験ゲーム」に没頭するような受験指導を嫌い、子どもたちの将来の実学に役立つ土台となる学力を養う受験勉強に重きを置く。
 現在は「二刀流」のプロとして仕事に携わる。



 受験指導者としては、まず、大手進学塾に講師として勤務、中学受験および高校受験の学習指導者として経験を積む。会社全体の中学受験部門の看板講座の講師も務めた後、2017年の秋に退職。

 2018年にはフリーランス講師としての授業を活動範囲限定で行っていたが、2019年には個人事業主としてストアカを窓口とした講座運営を本格的に開始。
 大手進学塾退職後は、現在の中学受験や大手〜中堅規模の進学塾に潜む問題点について多角的に考え、「子どもが主役の、日本の未来につながる中学受験」を推進するため、チャイルドコーチングなども積極的に学ぶ。
 また、「中学受験指導者は『人格、人となり』が大事であり、良き社会人であることが基本」との思い入れから、ビジネス系の資格も複数取得。
 〔ビジネス系の保有資格:ビジネス実務マナー検定 1級、ビジネス文書検定 1級、など〕

 「受験のための受験勉強」ではなく、中学受験を目指す子どもたちの「一生ものの学び」をサポートするため、今後さらに、自らの多角的な学びの経験を生かしてより良い講座を行うことを目指している。
 〔学業系の他分野の保有資格:フランス語技能検定試験(仏検) 準1級、日本商工会議所 珠算能力検定試験 2級、生涯学習インストラクター 校正2級、など〕

桜梅塾「6年生の国語のコース講座」Webページ内一部リニューアル! ~桜梅塾は『塾漬け』という社会問題に、真剣に取り組んでまいります〜

皆様、こんにちは。


 私が主宰している中学受験の個人塾『桜梅塾』は、
ストアカ(ストリートアカデミー)のWebサイトを
受付窓口として運営していますが、
随時、各講座のご案内ページのリニューアルを
行っております。

 今回は、6年生の国語のコース講座のうち一つを
リニューアルいたしました。

 そこでは、もはや社会問題の域に達していると
私が考えている『塾漬け』問題にスポットを当てながら、
お子様方が中学受験を有意義な学習経験として
学力を高めるためのノウハウについて、私の信念と
思いの丈を綴っております。

 『塾漬け』というのは、昨年の終わり(12月)頃から
私が掲げている言葉で、
「週に5日、6日といった頻度や長時間拘束での
過度な塾通いにより、
受験生の心身に何らかのマイナスの影響を生じさせたり、
かえって学力が伸び悩んだり低下したりする」
ことを指しています。


 今は中学受験の新年度がスタートしたばかりの
タイミング、
いわゆる「新規営業や集客」という視点で考えるなら、
世間の闇とも言えるような部分には触れず、美辞麗句を
並べるほうが賢明である、というご意見もあるでしょう。

 しかし、その一方では、現在の多くの中学受験塾の
在り方に疑問を抱いている保護者様も少なからず
いらっしゃるであろうと存じます。
 さらには、疑問を抱きながらも、それを声にして発する
ことの許されない状況に陥ってしまっている方々も
いらっしゃるはずです。

 このままでは、子どもたちが危ない。

 加えて、私は自身の中学受験も含めた人生経験から、
「中学受験」と密接な関係にある「日本という国の未来」
に対して、目下、大いに危惧しております。

 ゆえに、たとえご批判があろうとも、正直に拙意を
書き記すことこそが、仮にも教育に携わる者の端くれ
としての責務である、との考えから言葉を発して
まいります。





 以下、今回リニューアルした講座案内からの転載です。
(転載元:「中学受験の国語 ~6年生 4回コース~ 『文学的文章』」講座ページ↓
https://www.street-academy.com/myclass/51871





★★★中学受験を目指す6年生のお子様が、
自立して志を強く持ち、
さらに自律しながら「学び方」を
確立できるように。

そして、
人生で一度きりの少年期に
自ら選んだ中学受験勉強の月日、年月を、
一生の糧となり、いつでも誇りに思える
かけがえのない経験に
できるように。

この4回コースでは、物語文・小説文などの
「文学的文章」を中心に学びます。★★★


【「学ぶ」こととは、自分の力で「生きる」こと。
 だから、
 『塾漬け』にならない、中学受験。】

 「毎日のように塾に通っているのに、
成績が上がらない」のは、
本来、当たり前です。
 しかし、
「中学入試の3ヶ月前まで」なら、
その気になれさえすれば
「勉強の仕方」を変えることにより、
「成績が上がる可能性を見出す」ことができます。

 * * *

 この少子化時代において、大手や準大手の進学塾による生徒の「囲い込み」は激しさを増す一方です。
 低学年のうちでなければ入塾を受け付けなかったり、一度入ったら簡単には辞められなかったり、といったシステム。
 そして、学年が上がってくると、至極当然のこととして週に5日、6日の塾通い。
 夏だけにとどまらず、学校の授業曜日をぬって秋にまで、合宿。
 このような塾が巷に林立しています。


 昨年のある日の、6年生の授業でのこと。
 その日は、家庭学習の仕方の相談も兼ねて、保護者様が授業に同席してくださっていました。
 その受講生は、週に5日以上は集団塾に通い、空いている日を使ってダブルスクールで私の授業を受けに来ていたお子様です。
 すると、授業が終わるころに保護者様がおっしゃったのは、
「私は(中学受験を)しなかったんですけど、うちの子を見ていると、毎日塾に通って、今の中学受験って本当に大変なんだなぁ、と思います」
とのお言葉でした。


 それを聞いた私が思い及んだのは
「『大変』の、意味が違う」ということです。

 勉強において必要であり重要な『大変さ』というのは、「授業を受けたり他人から拘束されたりするために、過度に多くの時間を奪われること」ではありません。

 なぜなら、勉強とは、本来「一人でする」もの。
 外界から自分の中に入ってきたものを、自身の内面での思考錯誤によって腑に落ちるまで反芻し、自分が納得したものを自分の言葉で表現できるようになるまで、さらに思考錯誤を積み重ねるという、「自分の内面で」行う営み。
 それこそが「勉強」という言葉が純粋に指し示すところであるからです。

 ゆえに、「勉強する」「学ぶ」うえで『大変』なこととは、
「自分が『できる』」ようになるための
「孤独な『自分自身』との『内なる』闘い」です。
 それは、「拘束時間の長さ」という『大変さ』とは対極に存在します。



 授業は「受ける」ものです。
 それは、授業というのが文字通り「受け身」の行いであることを意味します。
 いわゆる「インプット」です。
このインプットは外界から知識や情報を取り込む行いですから、良い授業を受けるということにより質の高いインプットを行うことは可能になります。

 しかし、「できる」というのは「アウトプット」の行いを指します。
 誰に何を言われることなく、助言を与えられなくても、自分の内面にある知識や経験を自分の力で紡ぎ、他者に伝わるように言葉を駆使して発信することがアウトプットですから、
「自分独り」で練習しなければ、いつまで経っても永遠に、できるようにはなりません。
 このアウトプットは、完全に「一人の人間の内面」から起こるものですから、他者が手を貸すことは物理的に不可能です。
 その人自身の、内面から湧き起きる力に、すべてが委ねられます。

 言うまでもなく、入試で試されているのは、このアウトプットの能力です。
 だからこそ、入試でいかんなく発揮できる力を養うためには、インプットよりもアウトプットの練習により多くの時間を割く必要があります。
 つまり、「授業を受ける」時間よりも「独りで勉強する」時間を長く取るほうが、
学力は伸びる、頭が良くなる、ということです。


 また、一般的に、インプットとアウトプットを同時に行おうとすると、無理が生じます。

 大人の世界でも、その二つを実際に同時に行っているような仕事といえば、同時通訳くらいではないでしょうか。
 その同時通訳でさえ、8割程度は事前の準備で決まると言われていますから、人間の脳は構造上、インプットとアウトプットの両方の質を高く維持しながら同時進行するようには作られていない、ということなのでしょう。

 すなわち、適切なインプットの後に、じっくりと時間をかけて繰り返しアウトプットの練習を行うことで、初めて学力が向上する。
 専門の脳科学者ではなくても、真摯に勉強に取り組んだ経験を持つ大人が冷静になって考えれば、すぐにわかるメカニズムではないかと思います。



 しかし、私が申すところの塾漬け、つまり「拘束時間の長さ」を自慢にしているシステマティックな塾は、
その「人間の学習のメカニズム」の重要な真理には気付かせてくれません。
 それどころか、そのレールの上に乗せた人に考えるスキを与えないように、ジェットコースターのごとき勢いで年間予定表の上を爆走していきます。

 そのような塾の年間予定表には、背筋が寒くなるものが少なくありません。
 その「過密」な「授業」スケジュールは誰のためにあるのか? と見極めたとき、それは子どもたちのためではなく、
この少子化時代に会社を、塾をつぶさないようにと、我と我が身を守るためにある、ということが、
残念ながら、しばしば見受けられます。
 私もかつては大手進学塾に勤務していましたが、その壮絶な現場には、思わず目を覆いたくなるものもありました。



 ですから、
真剣に純粋な気持ちで中学受験を目指しているお子様を、
サポートする立場にいらっしゃる保護者様には、ぜひ、改めて考えていただきたいのです。


 子どもたちの「脳力」を最大限に高めるために、微力ながらも大人として、先達としてできることは何か?

 その問いに真摯に向き合っている中学受験指導者であれば、
子どもたちの拘束時間を最小限に抑え、
子どもたちが自ら積極的に学ぶ意欲を高め、独りで学んでいくための良い「方法」を伝えるために、心を砕きます。

 質の高い、濃密な、できるだけ短い時間でのインプットと、
高い集中力の維持できる範囲の量・時間で、「自ら考える」力を存分に使ったアウトプット。
 これらを交互に行うことが、「学ぶ喜びと楽しさ」とともに、
志望校合格へと着実な歩みを進めるための最良の方法であると、
私は考えております。


 
 勉強における「孤独な『自分自身』との『内なる』闘い」。
 この辛さ、厳しさこそは勉強の真の大変さであると同時に、
辛いだけ、苦しいだけで完結してしまうものではありません。
 乗り越えた先に知的な喜びや楽しさが確かに存在し、その喜びや楽しさを得て味わうために挑む、望むべき壁なのです。

テイスティング&座学のドイツワイン講座、2020年5月頃に開講予定!

皆様、こんにちは。

 今日は久々にプロテイスター関連の記事を掲載します。



 ただ今、今年の5月頃の開講を目標に、「ドイツワインテイスティング&座学の講座」を計画中です。
 ドイツワイン上級ケナー(日本ドイツワイン協会認定資格)でもある私、大竹智子が、文化的視点も交えて飲料としてのドイツワインを解説し、醸造酒のテイスティング方法を国際基準に則ってお教えする講座です。


 現在私が「二刀流」と称して行っている二つの仕事のうち、「生え抜き」として務めているのは、こちらのテイスティング系の仕事です。
 私は20歳のときから料飲(飲食)の世界に携わり、今年で27年目を迎えております。30代になり、その世界で後進の指導にあたるようになってから、「教育」への意識が高まり、そこから「中学受験」の仕事との両立を目指してまいりまして、現在に至ります。



 私にとって、酒は「遊び」ではない。



 しかし、この国において「酒が遊びである」ことのハードルを越えることは、まだまだ相当難しいと私は感じています。


 とはいえ、私が自身の経験を通して、自分のなかでは
はっきりと判っていることは、

日本において、食や酒に携わるプロの社会的地位が欧米先進国に比べて極端に低いことや、少年期に食や酒を文化として捉える視点での教育が施されていないことが、
自国の文化を深く理解する教養や国際的矜持の乏しさにつながり、
ひいては国家レベルでの国際競争力の弱さという結果を導いている、

ということです。

 そして、私がこのような自分なりの悟りを開いたのは、
食や酒にプロとして携わってきた経験と、
もう一つ、
中学受験以来の学業との深い関わりに因ります。

 よって、私が自分の望むところの社会貢献を現実のものとするためには、
プロテイスターの仕事も中学受験指導の仕事も不可欠で、その二つは私の仕事であり社会活動の両輪なのです。



 ときに、私の「この二つ」に対して、
「どちらが本業で、どちらが趣味ですか?」などと
強引に択一を迫る人がいます。

 ですが、

お言葉を返すようで大変申し訳ないのですが、
「私は、そのどちらか一つだけを選ばなければならないような、そんな狭い視野と浅い考えや小さな心で、『仕事』というものをしているわけではありません」というのが私の答えです。





 個人事業主として2年目の今年は、
1年目の経験と実績を礎に、さらに質の高い中学受験指導と「二刀流」のテイスティング講座の不定期継続開講を目指してまいります。

「親子ワークショップ講座」2020年2月16日(日)開講! 〜テーマは「今どきの『塾漬け』問題と自主的な学習」〜

◇◇◇2020年度 中学入試
    第一志望校 合格率 50%、
     全員が私立・都立中学校へ進学決定!!◇◇◇

 首都圏で、4、5人に1人だけが第一志望校に
合格するという、厳しい中学入試。
 この現実のなか、私のところでは、
文系2教科を私の講座で勉強して第一志望校・
第二志望校ともに合格をつかんだ受験生をはじめ、
ダブルスクールで受講してきた受験生も、
全員が私立・都立中学校へ進学します!!



 * * *



皆様、こんにちは。

 本日は、2020年初の「親子ワークショップ」講座の
お知らせです!



 来たる2020年2月16日(日)、10:00〜12:00で
「親子ワークショップ」講座を開講いたします。
 今回の講座のテーマは
「今どきの『塾漬け』問題と自主的な学習」です。

 この度の中学入試で合格をつかんだ受験生と
その保護者様にゲスト出演していただきます。
 生で経験談を聞ける貴重な機会ですので、
ご興味のある方は、ぜひお越しくださいませ!!

★講座ページ
 ↓
https://www.street-academy.com/myclass/43276

 今回の講座は、2020年度の中学入試が終わった
ばかりでの開講のため、
開講までにあまり日数がない時点での告知となったこと、
お詫び申し上げます。
 せっかくご興味を持ってくださっても「日程が合わずに
参加できない」という方もいらっしゃるかと思いますが、
今年は昨年よりも開講回数を増やしてまいりますので、
またの機会にいらしていただけますと幸いです。
 さらに今年は、内容にも毎回変化をつけながら、ご受講いただくたびに新たに得るものがある講座を目指してまいります!

中学受験は、「心」に始まり「心」に終わる。

ちょっとだけ、つぶやき。

中学受験は、「心」に始まり「心」に終わる。

というより、中学受験「も」というのが実際だと
思うけれど。

これが、この一年間の、私自身の学びの結論。
だから、今、入試に向かっている6年生たちの
進路が決まるまで、
「心」を込めて全力でサポートすること。
そして、もうすぐ始まる新年度では、
さらに「心」を大切にして一歩前に踏み出せるように。

塾漬け、怖い。

本来ならtwitterに投稿するような独り言ですが、
ここに書き留めます。
これからの自分のためにも。





受験における、
塾べったりの、塾依存、塾過信。
 私が言うところの「塾漬け」。
これほど恐ろしいことは無いな、と最近切に思う。

なぜなら、塾漬けによって人格が歪められていると
感じざるを得ない子どもたちが増えているから。

でも、子どもたちだけではなく、
そのことに気付くチャンスが無いままの保護者の方々の、
何と多いことか。

 私自身も、大手塾の勤務講師のままだったら、
もっと先になっても気付かないままだったかもしれない。

何年、何十年先になっても、
いや、
一生気付かなかったかもしれない。

そう考えると、私は気付けて良かった。
本当に良かった。
それだけで、すごく「幸せ」が増えたと思うから。
今、幸せを噛み締められているから。

「気付き」は本当に大事。
この言葉、私が20代の頃、ホテルマンだった頃から
好きな言葉だけど、
自分が歳を重ねた分、言葉の重みも増した気がする。

桜梅塾「国語のコース講座」Webページ内一部リニューアル! ~【「中学受験は、何のためにするのか」2019-2020冬ver.】~

皆様、こんにちは。


 この度、桜梅塾の講座受付窓口としているストアカのサイトにおける、「国語のコース講座」ページ内で講座案内を一部リニューアルいたしました。

 お子様たちとともに、私も、桜梅塾も日々成長していくなかで、講座のWebページには時々手を加えていますが、

今回講座のWebページに新たに掲載した文章は、
こちらのブログに
【「中学受験は、何のためにするのか」2019-2020冬ver.】
として転載いたします。


 今から1年半以上前にこちらのブログで公開した記事、
「桜梅塾のお話 ~中学受験は、何のためにするのか~」(2018.5.12公開)は、
私としては特に深い思い入れがあって書いた記事ではなかったのですが、
ブログ内ではそれ以降、常に「注目記事」の上位にランクしています。
 しかし、あれから1年半、私もさまざまな経験を積み、
現在の考えや理念は、さらに進化したものへと変わっていますし、
皆様の関心の高いテーマであるなら、なおさら、
進化した「現在」のものをお伝えすることも必要と思い、
ここに転載して記事をアップする次第です。


 以下、今回リニューアルした講座案内からの転載です。
(転載元:「中学受験の国語 ~3・4・5年生 4回コース~ 『説明文・意見文』」講座ページ↓
https://www.street-academy.com/myclass/51932





★★★中学受験を目指す3〜5年生のお子様が、
学習の積み重ねにより
地に足のついた学力を養いながら、
人生で一度きりの少年期に
実りある月日、そして年月を生きていくことが
できるように。

この4回コースでは、「説明文・意見文」などの
説明的文章を中心に学びます。★★★


【『10歳の壁』に差し掛かる頃より
 自ら厳しい「闘い」に挑むのは、
 「より豊かに生きる」ため】

 「教育とは、『教わり育つ』こと」。
 自身が中学受験を経験した講師にしか分からない、
「『脳力』の成長」の機微があります。

 * * *

 ある日、授業中の出来事。
 国語の文章題で「指示語」の問題が出てきたときのことでした。

 「指示語の指す内容は、基本的には前にある」ということを私が確認しようとすると、
その子は「以前の塾の先生に『指示語の問題のときは、後を見なさい』って言われた」とあっさり即答したのです。

 そのときは、そこで立ち止まることが難しい状況でもあったので、私は、あえてその子の発言を否定したり根掘り葉掘りしたりするようなことはせず、やんわりとアドバイスをするに留めましたが、
その子の言葉を聞いて、私は寂しい気持ちになりました。



 この「以前の塾の先生」の指導は、
3つの危険性をはらんでいると私は考えます。


 まず、その先生は「日本語の基本の使い方」を無視して、「奇をてらった『受験のための、小手先の受験テクニック』」を子どもたちに教えているのではないか、という危険性です。
 「わざわざ入試に出すような指示語の内容は、(普通と違って)後にある(と山を張れ)」というように。

 「これ」や「その」に代表される指示語が指す内容は、基本的に「指示語の前」にあります。既に述べられたことを手短に一言で表すために用いるのが、指示語の基本の使い方であり、日本語の基本でもあるからです。
 この「基本」には、理由や理屈、いわゆる「論理」があります。
 そして、文章においては時として指示語の直後に「指す内容」が提示される場合もありますが、その使い方は「応用」と言えるものです。
 「応用」は、「基本」を無視しては成り立ちません。

 難関以上の中学入試問題に出てくる指示語の内容は、一目で分かって書き抜けるような単純明快なものではなく、文脈を深く理解し頭の中で咀嚼しなければ適切に把握することができないものです。
 ときには「後」を考慮することも必要です。
 ですが、まずは「前」を見直して、そこに端緒があればそこから紐解いていくという正攻法の「考え方」を知らないと、正確に文章を理解する「脳力」が養われませんし、いつなんどきにも「物事をまず正面から見つめ、真剣に考える」という真摯な学習姿勢も育っていきません。

 指導者に「言葉を大切に扱う『気持ち』」があれば、自ずと伝え方や教え方に、にじみ出てくるのではないかと私は思います。


 次に、「以前の塾の先生に〜って言われた」と答えたその子の言い方が「機械的」だったことから私が感じたのは、
その先生、もしくはその塾は、子どもたちを「依存体質」に仕立ててしまい、結果として子どもたちの学力の伸びを抑制しているのではないか、という危険性です。

 他人から言われたことを鵜呑みにして丸暗記しているだけでは、学力は伸びません。外から自分の中に入ってきた物事を「一人で沈思黙考」する時間にこそ、大きく学力が伸びます。
 しかし、何かの答えを「誰々からこう言われた」と「無機的」に述べるに留まっているということは、
「教わったことを自分で吟味し、反芻して理解を深める」というプロセスが全く行われていないことを示唆していると言えます。

 塾や先生に、完全に「依存」してしまっているのでしょう。
 この「依存」は、「信頼」とは全く異なるものです。
 そこには、学力の伸長はさることながら、学びにおいて最も大切な「自立」や「自律」、人としての「成長」は存在しません。


 最後に、「小手先のテクニックや、まやかし」に目を奪われ、「自立」も「自律」ないままに大人への道を進んでいくと、
自信が無く、他人を慮る心の弱い、物事の裏を疑うことばかりに満ちた社会人になっていってしまう、という危険性があります。

 たかが指示語、されど指示語。
 学習姿勢の違いは、やがて習慣となり、その人の人格そのものを形作っていきます。
 よって、一つひとつの小さな学びの積み重ねが、人生との向き合い方、ひいては人生そのものを変えることもあり得るのです。



 そんなとき、自身が中学受験を経験していない講師の多くは、
「小学生にそんな難しいことなんか関係ない」
「ここは受験勉強を教えるところであって、学校ではない(から、人間性だの社会性だのどうでもいい)」などと
簡単に話を片付けようとします。

 しかし、現実は逆で、
脳と心がとても柔らかい小学生だからこそ、吸い取り紙のように何でも吸収する力が高いため、
裏技のようなことを教えられたり、邪な立ち居振舞いを見せられたりすると、心にまで影響を受けやすいのです。
 と同時に、体感を伴って学ぶ力も大人より強いため、
脳と体を使って深い学びを体験すれば、将来どの道に進んでも必要となる「学び方」「勉強の仕方」をしっかり身につけることができます。
 一生忘れ得ない、どこへ行っても通用する揺るぎないものを、目に見えない財産として体得することこそが、中学受験の醍醐味なのです。

 そして、その「脳も心も柔らかい小学生」の学びの体感を、
共感に留まらず、

「共有」

できるのは、自身が中学受験を経験している講師ならでは、です。


 「三つ子の魂百まで」こと、
「少年期の学習姿勢墓場まで」。

 私は専門学校の講師を務めていたこともあり、社会人の専門スクールでお教えしていた経験も持ちますが、
これこそが「人生と学び」の現実であると切に感じております。



 中学受験の学習内容は、小学校の学習内容から乖離し、かつ端的に難度の高いものも少なくありません。中学受験が、高校受験や大学受験と異なり、特殊性が高い理由は、ここにもあります。
 そして、そこには過酷とも言える厳しさも潜んでいますが、
中学受験を自ら志す小学生が、「心を整え」「勉強の仕方を身につけ」ていくなかで初めて出会うことのできる、

かけがえのない喜びや、
知性で感じる楽しさも

散りばめられています。


 「教育とは、『教わり育つ』こと」。
 お子様が自分の意志で取り組む学びを、全力でサポートしてまいります。