「学び」には、夢がないといかん。

皆様、こんにちは。

 

4つ前の記事 https://www.bardetomoko.com/entry/2022/11/25/235853 に書いていた

松下幸之助〈理念経営〉実践ゲーム」の「公認ナビゲーター養成講座」に、この度参加して公認ナビゲーター資格を取得してまいりました。

 

私が四半世紀来、松下幸之助さんを尊敬しファンでいる理由はいくつかありますが、

その一つに「経済的に貧しい状況」から努力して成功した人だから、というのがあります。

加えて病弱でもあった幸之助さんですが、そこで無理や悪あがきをするのではなく、自分の人生の中で「素直に学んでいった」方です。

自分の境遇に不平不満を唱えるのではなく、その時その場でできる努力をする。そして、失敗からも前向きに学ぶ。これは、本来の「人」として自然で健全で美しい姿であると私は思います。

 

しかしながら、昨今の日本人、とりわけ青少年の教育をめぐる人々の立ち居振舞いは、このような美しい姿からはかけ離れたものになっていることも少なくないと感じています。

 

今どきは、「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉すら、悪いものと頭ごなしにけなす人たちもいるようですが、この言葉はより豊かに生きるための教訓です。ここで言う「苦労」とは、苦痛ではなく「試練」のこと。「負荷」と言うこともできます。

植物が、冬を乗り越えたり、厳しい自然環境下に生きていたりすることによって、一層美しい花を咲かせる、豊かに実をつけるのと同じように。

自然に逆らわず、苦労を乗り越えることにより、幸せの味わいの深さと厚みが増す、という意味です。

 

ところが今どきの日本では、経済的な苦労も貴重な経験だと言えば「馬鹿にしている」と非難され、

人として生きていくうえで経験する、必要な失敗について話せば「上から目線で失礼だ」などと罵倒される。

苦労や失敗は、素晴らしい幸せな人生においては「ひとつもあってはならない」ものであると。

 

かえって精神を病んでしまいそうなほどの、虚構に満ちた自己肯定感のゴリ押し。

失敗することや苦労することに対する、過剰いや異常なまでのアレルギー的反応。

最近の日本人は、私が子どもだった40年くらい前に比べ、精神的には「相当貧しく」なっているように私は感じています。

 

素直に一生懸命「学ぶ」なら、やはり苦労はつきもの。けれども、その試練を乗り越えようと状況を見極めるうちに視野が広がり、思索を繰り返し試行錯誤を重ねていくうちに、忍耐力や包容力もついてくる。

懐の深さ、自分自身への自信、人や物への感謝の気持ち。それらを備えた、ひとまわり大きな自分への成長。

そして、自分が生きる世界の広がり。

だから、学問でも勉強でも、「学び」には夢を持ってやらんといかん。

 

 

【追記】「若い時の苦労は買ってでもせよ」をweb検索していたら、この言葉を曲解したり歪曲したりして批判している人たちの見解がいろいろ出てきて、正直驚きました。そのネタは、また後日記事にできればと思います。