皆様、こんにちは。
話題が諸々あるなか、今日は
受験国語の「添削」
について書くことにします。
国語学習においてよく使われる、記述問題の「添削」という、この言葉。
実際に私も以前、ストアカの講座案内のページ内で使用していました。
ですが、私の添削は、いわゆる文字通りの「添削」ではありません。
それなのに「なぜ」添削という言葉をこれまで使ってきたのかというと、
記述問題の解答用紙に「手を加える」作業をイメージしていただくには
「添削」という言葉を便宜上使ったほうが楽に伝わるかなと私が思っていたから
に過ぎません。
(つまり、厳密に意味を照らし合わせて言葉を使うことこそを公には良しとするなら、
この表現は不適切ということになります💧
よって、我ながら
「国語の講座の案内なのに、これではいまひとつ、しっくりこない」という判断のもと😅、
その文言をこれまでに変えてまいりました。
また、コース講座のご案内などを、近々バージョンアップするつもりでおります💦)
では、私が国語指導で行っている添削らしきものとは一体何なのかというお話です。
ズバリそれは、
「ヒント出し」です。
記述問題の答えを、お子様自身の手でより良く書くための。
記述の答案に赤ペンで「添削」を行い、満点の答案に仕上げて返却することは、さほど難しいことではないと、私は感じています。
なぜなら、模範解答などを見ながら大人の手で「添削」すれば、その時点で完結してしまう、
完結させられる
からです。
しかし、そこには子ども自身が考えながら問題解決に向かって取り組むという
子どもの「頭を良くする」プロセスが
入り込む余地が無い
のです。
(実際には、大手塾などの集団授業のクラスで生徒の人数が多いと、この「添削」を丁寧に行うことすら物理的に難しいのが現実ですが。)
一方、「ヒント出し」をすれば、
1回で終わることはまずありません。
少なくとももう1回は、「ヒントをもとに『子どもが考えて』書いた答え」を受け取って、講師も動かなければならなくります。
そして、もしも、そこで受け取った答えが「合格」と言える完成度に達していなかったら、
「再ヒント」を2回目の答案に書き込んで、
「子どもが考えて書き直した、3回目の答案」を待つことになります。
……これが私のやり方なので、本当は「添削」とは言えません。
さらに、一人ひとり個性も持ち味も異なる子どもたちが、それぞれに最良の答案を書けるようになってほしいと思えば、
「同じところ」でつまずいている子が複数いたとしても「つまずき方」がそれぞれ異なっていたら、
「ヒントの出し方」もそれぞれに合わせて変える必要が生じます。
そして、そこまで「痒いところに手が届く」ヒント出しをするには、普段から一人ひとりの子どもと真剣に向き合い、より良く理解しようと絶えず努めていなければなりません。
私の「中学受験は全人教育」という哲学や理念を具現化したものの一つが、
この「添削」ではない添削です。
この能動的な指導を実現し続けるには、講師も労力を要します。
しかし、子どものたちの未来を思い、
「少しでも、この子たちの人生のために役に立ちたい」と考えれば考えるほど、
子どもたちに「少しでも多く『考える』チャンス」を作りたい、という願いが強くなります。
「考える力」は、
人生を豊かで実り多いものにするための
最強のエンジンですから。
その思いを、親御様にも如実にお伝えするために、今後はそれが「添削」ではないことを、正直に述べていきたいと思います。