塾漬け、怖い。

本来ならtwitterに投稿するような独り言ですが、
ここに書き留めます。
これからの自分のためにも。





受験における、
塾べったりの、塾依存、塾過信。
 私が言うところの「塾漬け」。
これほど恐ろしいことは無いな、と最近切に思う。

なぜなら、塾漬けによって人格が歪められていると
感じざるを得ない子どもたちが増えているから。

でも、子どもたちだけではなく、
そのことに気付くチャンスが無いままの保護者の方々の、
何と多いことか。

 私自身も、大手塾の勤務講師のままだったら、
もっと先になっても気付かないままだったかもしれない。

何年、何十年先になっても、
いや、
一生気付かなかったかもしれない。

そう考えると、私は気付けて良かった。
本当に良かった。
それだけで、すごく「幸せ」が増えたと思うから。
今、幸せを噛み締められているから。

「気付き」は本当に大事。
この言葉、私が20代の頃、ホテルマンだった頃から
好きな言葉だけど、
自分が歳を重ねた分、言葉の重みも増した気がする。

桜梅塾「国語のコース講座」Webページ内一部リニューアル! ~【「中学受験は、何のためにするのか」2019-2020冬ver.】~

皆様、こんにちは。


 この度、桜梅塾の講座受付窓口としているストアカのサイトにおける、「国語のコース講座」ページ内で講座案内を一部リニューアルいたしました。

 お子様たちとともに、私も、桜梅塾も日々成長していくなかで、講座のWebページには時々手を加えていますが、

今回講座のWebページに新たに掲載した文章は、
こちらのブログに
【「中学受験は、何のためにするのか」2019-2020冬ver.】
として転載いたします。


 今から1年半以上前にこちらのブログで公開した記事、
「桜梅塾のお話 ~中学受験は、何のためにするのか~」(2018.5.12公開)は、
私としては特に深い思い入れがあって書いた記事ではなかったのですが、
ブログ内ではそれ以降、常に「注目記事」の上位にランクしています。
 しかし、あれから1年半、私もさまざまな経験を積み、
現在の考えや理念は、さらに進化したものへと変わっていますし、
皆様の関心の高いテーマであるなら、なおさら、
進化した「現在」のものをお伝えすることも必要と思い、
ここに転載して記事をアップする次第です。


 以下、今回リニューアルした講座案内からの転載です。
(転載元:「中学受験の国語 ~3・4・5年生 4回コース~ 『説明文・意見文』」講座ページ↓
https://www.street-academy.com/myclass/51932





★★★中学受験を目指す3〜5年生のお子様が、
学習の積み重ねにより
地に足のついた学力を養いながら、
人生で一度きりの少年期に
実りある月日、そして年月を生きていくことが
できるように。

この4回コースでは、「説明文・意見文」などの
説明的文章を中心に学びます。★★★


【『10歳の壁』に差し掛かる頃より
 自ら厳しい「闘い」に挑むのは、
 「より豊かに生きる」ため】

 「教育とは、『教わり育つ』こと」。
 自身が中学受験を経験した講師にしか分からない、
「『脳力』の成長」の機微があります。

 * * *

 ある日、授業中の出来事。
 国語の文章題で「指示語」の問題が出てきたときのことでした。

 「指示語の指す内容は、基本的には前にある」ということを私が確認しようとすると、
その子は「以前の塾の先生に『指示語の問題のときは、後を見なさい』って言われた」とあっさり即答したのです。

 そのときは、そこで立ち止まることが難しい状況でもあったので、私は、あえてその子の発言を否定したり根掘り葉掘りしたりするようなことはせず、やんわりとアドバイスをするに留めましたが、
その子の言葉を聞いて、私は寂しい気持ちになりました。



 この「以前の塾の先生」の指導は、
3つの危険性をはらんでいると私は考えます。


 まず、その先生は「日本語の基本の使い方」を無視して、「奇をてらった『受験のための、小手先の受験テクニック』」を子どもたちに教えているのではないか、という危険性です。
 「わざわざ入試に出すような指示語の内容は、(普通と違って)後にある(と山を張れ)」というように。

 「これ」や「その」に代表される指示語が指す内容は、基本的に「指示語の前」にあります。既に述べられたことを手短に一言で表すために用いるのが、指示語の基本の使い方であり、日本語の基本でもあるからです。
 この「基本」には、理由や理屈、いわゆる「論理」があります。
 そして、文章においては時として指示語の直後に「指す内容」が提示される場合もありますが、その使い方は「応用」と言えるものです。
 「応用」は、「基本」を無視しては成り立ちません。

 難関以上の中学入試問題に出てくる指示語の内容は、一目で分かって書き抜けるような単純明快なものではなく、文脈を深く理解し頭の中で咀嚼しなければ適切に把握することができないものです。
 ときには「後」を考慮することも必要です。
 ですが、まずは「前」を見直して、そこに端緒があればそこから紐解いていくという正攻法の「考え方」を知らないと、正確に文章を理解する「脳力」が養われませんし、いつなんどきにも「物事をまず正面から見つめ、真剣に考える」という真摯な学習姿勢も育っていきません。

 指導者に「言葉を大切に扱う『気持ち』」があれば、自ずと伝え方や教え方に、にじみ出てくるのではないかと私は思います。


 次に、「以前の塾の先生に〜って言われた」と答えたその子の言い方が「機械的」だったことから私が感じたのは、
その先生、もしくはその塾は、子どもたちを「依存体質」に仕立ててしまい、結果として子どもたちの学力の伸びを抑制しているのではないか、という危険性です。

 他人から言われたことを鵜呑みにして丸暗記しているだけでは、学力は伸びません。外から自分の中に入ってきた物事を「一人で沈思黙考」する時間にこそ、大きく学力が伸びます。
 しかし、何かの答えを「誰々からこう言われた」と「無機的」に述べるに留まっているということは、
「教わったことを自分で吟味し、反芻して理解を深める」というプロセスが全く行われていないことを示唆していると言えます。

 塾や先生に、完全に「依存」してしまっているのでしょう。
 この「依存」は、「信頼」とは全く異なるものです。
 そこには、学力の伸長はさることながら、学びにおいて最も大切な「自立」や「自律」、人としての「成長」は存在しません。


 最後に、「小手先のテクニックや、まやかし」に目を奪われ、「自立」も「自律」ないままに大人への道を進んでいくと、
自信が無く、他人を慮る心の弱い、物事の裏を疑うことばかりに満ちた社会人になっていってしまう、という危険性があります。

 たかが指示語、されど指示語。
 学習姿勢の違いは、やがて習慣となり、その人の人格そのものを形作っていきます。
 よって、一つひとつの小さな学びの積み重ねが、人生との向き合い方、ひいては人生そのものを変えることもあり得るのです。



 そんなとき、自身が中学受験を経験していない講師の多くは、
「小学生にそんな難しいことなんか関係ない」
「ここは受験勉強を教えるところであって、学校ではない(から、人間性だの社会性だのどうでもいい)」などと
簡単に話を片付けようとします。

 しかし、現実は逆で、
脳と心がとても柔らかい小学生だからこそ、吸い取り紙のように何でも吸収する力が高いため、
裏技のようなことを教えられたり、邪な立ち居振舞いを見せられたりすると、心にまで影響を受けやすいのです。
 と同時に、体感を伴って学ぶ力も大人より強いため、
脳と体を使って深い学びを体験すれば、将来どの道に進んでも必要となる「学び方」「勉強の仕方」をしっかり身につけることができます。
 一生忘れ得ない、どこへ行っても通用する揺るぎないものを、目に見えない財産として体得することこそが、中学受験の醍醐味なのです。

 そして、その「脳も心も柔らかい小学生」の学びの体感を、
共感に留まらず、

「共有」

できるのは、自身が中学受験を経験している講師ならでは、です。


 「三つ子の魂百まで」こと、
「少年期の学習姿勢墓場まで」。

 私は専門学校の講師を務めていたこともあり、社会人の専門スクールでお教えしていた経験も持ちますが、
これこそが「人生と学び」の現実であると切に感じております。



 中学受験の学習内容は、小学校の学習内容から乖離し、かつ端的に難度の高いものも少なくありません。中学受験が、高校受験や大学受験と異なり、特殊性が高い理由は、ここにもあります。
 そして、そこには過酷とも言える厳しさも潜んでいますが、
中学受験を自ら志す小学生が、「心を整え」「勉強の仕方を身につけ」ていくなかで初めて出会うことのできる、

かけがえのない喜びや、
知性で感じる楽しさも

散りばめられています。


 「教育とは、『教わり育つ』こと」。
 お子様が自分の意志で取り組む学びを、全力でサポートしてまいります。

桜梅塾「晩秋の新規受講キャンペーン」実施!

皆様、こんにちは。


 桜梅塾では
「晩秋の新規受講キャンペーン」を
開始いたします(11月30日まで)。

 入試まで残り3ヶ月を切った6年生も、
その先を目指す5年生、4年生、3年生も、
この機会に気軽に「お試し講座」をご受講いただけるよう、
ブログのこのページをご覧くださった方にお使いいただける「お試し講座受講料500円値引リンク」を以下にご用意いたします。
 ↓
https://www.street-academy.com/myclass/33185?conversion_name=direct_message&d_code=EUpOxLvV&tracking_code=1d3863cbba01507101d0a858a82d06bc

 桜梅塾では「中学受験は、全人教育」との理念のもと、
中学受験を目指すお子様の「心を整える」ことを大切に、お子様自信の学習と中学受験に対する意欲を高め、
「思考力」を鍛えることに重きを置いた授業を行っております。

 現在は、国語と社会の2教科で、3年生から6年生までのお子様たちの中学受験をサポートしておりますが、
東京・新宿の教室まで、都内だけではなく、神奈川、千葉、埼玉の隣接3県からも複数のお子様が通っていらっしゃいます。

 私自身が中学受験を経験してきて、
「楽しくなければ、勉強じゃない!」という強い思いを抱いているため、
「苦行に耐えることが美徳」とするような授業は行いません。
 難しい勉強には厳しさを感じることも少なくありませんが、そのなかに潜んでいる知的な喜びは、通りいっぺんではない「深い楽しさ」を自分に与えてくれます。
 その喜びや楽しさこそが、一生ものの「学びの力」であり、そこに受験での合格や貴重な人生経験も存在すると、私は考えております。





 講座へのご質問やリクエストなどがございましたら、お気軽にお問い合わせくださいませ。
 ストアカのメッセージシステム、もしくは、以下のメールシステムより送信いただけます。
 ↓
https://ws.formzu.net/fgen/S44369859/

 中学受験を通しての新たな出会いを、楽しみにしております!

「自分のために」一生懸命

皆様、こんにちは。
 ご無沙汰しております。

 10月は私にとって、すごく密度の高い1ヶ月間でした。
 普段の仕事に加え、東京を離れての仕事や勉強……。
 そんなこんなで、ブログはすっかり休業状態に入っていましたが、
今、一回り大きな自分になって「ただいま」という感じです。





 「自分のために」一生懸命。
 東京を離れての約一週間は、その時間でした。



 指導者の仕事というのは、
「人のために役に立ちたい」という確固たる思いを抱きながら立ち向かう、かけがえのない緊張感と責任感に満ちた仕事です。
 私はその仕事が好きですし、日々誇りをもって取り組んでもいます。

 その一方で、
「誰のためでもなく、ただただ『自分のために』一生懸命」頑張るというのは、
もっと純粋で、かつ根源的な「人間」としての営みなのだと。
 しかも、そのことを
「これまでの人生のなかで最も強く」感じたのが、この度の「その時間」でした。


 なりふり構わず、髪振り乱して、自分のためだけに必死になれる、ということ。

 それが、とてつもない幸せ。


 ここまで「魂が震える思い」もまた、
いったい、いつ以来だろう、と考えてしまうほど、その時間は濃密で貴いものでした。
 その貴さを深く味わえるようになったのは、自分が歳を重ねて成長したからでもありますが、
やはり「そういう純粋な時空間」に身を置く努力が大切だと、改めて感じたのも事実です。
 そして、大手進学塾の勤務講師のままだったら、今、この道を歩くことは絶対にできていなかったと思うし、
運命がこの道に自分を導いてくれたことにも、心の底から感謝する私でした。



 「名選手必ずしも名監督にあらず」という言葉もありますが、
「『自分のために』一生懸命」になることは人生の本質でもあり醍醐味でもあるので、
その経験が豊かであれば、必ず人のために役立てることもできると、私は確信しています。
 人に教えるときにも、
「『自分のために』一生懸命」の
素晴らしさを
全身全霊で教えられますから。





 2020年度の中学入試まで、残り3ヶ月を切り、ここからが本当の勝負です。
 「一回り大きくなった自分」の全身全霊をあげて、戦っていきます。

ちょっと、呟き。「中学受験は、全人教育」。

皆様、こんにちは。

 今月は、受験指導の仕事のほかにも
さまざまな予定が詰まっていて、
私にとってはすごく重たい1ヶ月間なの
ですが、
「これだけ一生懸命になれることがたくさんあって幸せ」という喜びを噛みしめながら、
一日一日を全うしていきたいと思っています。

 ……というわけで、ブログは手薄になりますが、
例によってマイペースでやっていきます。
 もともとそういうブログなので、
どうぞ大目に見てやってください💦





 で、今日は思いの丈を、
ぎゅっと凝縮して。



 今、私がモットーとしているのは
「中学受験は、全人教育」
ということです。

 大手進学塾勤務時代から、無意識にそういうところに、ある程度の重きを置く私だったとは思うけど、
その大切さに深く思い及び、
そのことを腹に据えて全身全霊をあげて中学受験に向き合うようになったのは、
独立してからです。

 「中学受験は、全人教育」。
 つまり、
「人としての成長がなければ、
真の学力向上はない」ということ。


 去年の話です。
 とある中学受験生のお母様が、受験のことでお子様にストレスをかけ過ぎて、
お子様が半ば心を病んでしまったのですが、
お母様の締め付けは厳しさを増す一方でした。
 あれはダメ、これもやってはいけない、などと、
お子様の小学生として自然な心の動きを
「すべて無駄なもの」と見なして、
ことごとく封じ込めたり、削ぎ落としたりすることで、
お母様はその子を最難関レベルの中学校に受からせようと目の色を変えて必死でした。

 私から見ると、
そこまで狭い世界に子どもを住まわせてしまったら、
人として全く成長できないし、
勉強が何のためのものなのかも全くわからなくなるから、
成績なんか上がるわけないし、
受験が上手くいくわけがないよ、と。
 私の心のなかは、そんな思いで満たされていました。

 しかし、そのお母様が私に求めてきた
ことは、
「人間的成長とか、そういうことは別だから、そういうことに関わらず、ただ勉強だけ教えてほしい」
ということでした。

 「大竹先生に勉強を教えてほしい」と
何度も何度もお願いはされたのですが、
私には、そのお母様の「暴走」を止めること不可能だと思われたので、最後には何とかお断りしました。


 そうじゃないんだよ、勉強って。


 元体育会系女子の私が好きな言葉の一つ。
 それは、インターハイで何度もチームを全国優勝に導いた、高校スポーツチームで監督を務めていた方の言葉です。
「技術を身に付けることは、さほど難しくないが、技術を使いこなせるようになることは
難しい。
なぜなら、技術を使いこなせるようになるためには、人間的に成長しなければならないからだ」。

 私がこの言葉に初めて触れたのは、高校生のときだったと思いますが、自分が歳を重ねるにつれ、「人生とは、まさにこの言葉の通りだ」という思いを深めています。
 そして、人生のいつなんどきにも「この言葉の通り」なのですが、
心も頭も柔らかい少年期のうちは、なおのこと、「人間的成長」が能力の伸長に大きな影響を及ぼすと実感しています。


 勉強は、人生に役立たなければ、
意味ない。


 だから、先に述べた「子どもを『勉強する機械』に育てたいお母様」のように、過剰な効率主義のごとく受験勉強に取り組むのは、いずれ遠からず、「非効率の極み」に達するというわけです。
 私が、成績向上のために最も必要な条件を「人間的成長」と考えているのは、人の本質を見据えてのことにほかなりません。


 そして、この、今の私の信条の礎が確固たるものとして築かれたのが、
まさしく、その「中学受験」を乗り越えた先の、中学と高校での6年間だったのです。

偏差値と自主性の関係

皆様、こんにちは。

 記事連載の途中ですが、今日は別のお題にて失礼いたします。
(連載記事のことも、忘れず考えています(^_^;) というより、最近のものだけではなく、だいぶん前から書きかけ状態の連載記事も複数あるのですが、全部、覚えています(*_*)
ただ、このブログは「徒然なるままに」がモットーなので、気ままに進めさせていただくことをお許しくださいませm(_ _)m)


 というわけで、本日のお題。

 「中学受験は親の受験」という流説に踊らされてしまっている方々が多い今日この頃ですが、
それは違うと、
私は自身が中学受験を乗り越えた経験から
断言できます。

中学受験は
子どもが主役の受験

です。


 すると、
「親が子どもの勉強に介入すれば偏差値が上がるはずだから、そのために親が面倒をみるのだ」
と岩のように揺るぎない佇まいをお見せになる方がいらっしゃいます。

 私が見ている限り、
そのような方々の大多数は、
「学歴至上主義」です。

 さらに、なぜ「学歴至上主義」なのかと言えば、
「学歴があれば、いい仕事に就いて、一生いい暮らしができるから」
という理由に帰着します。

 そこで、
「親が中学受験にてこ入れする」のは
「すべて子どものため
なのだ」

という美談
が完全に成立するわけです。


 しかし、私の四十数年の人間稼業から得た学びによれば、
その美談は完成する前に、ほぼ100%の確率で破綻します。
(現実問題として、不運にして夭折するようなことがあれば、破綻を来すことはないかもしれませんが。)


 まず、何よりも一番の
「想定外」として

「親が子どもの勉強に介入」すると、

子どもは反発したり、やる気の芽をくじかれたり、萎縮したりするため、
成績は停滞するか下降するか、そのどちらかに至る場合が多い

のです。

 では、稀にあることですが、
もしも運よくそこで
「成績が上がっ」たら。
 偏差値という一側面において、親の満足のいく学歴は手に入るかもしれません。

 けれども、その時点で
その子が、自主性は高くない、問題に対する自己解決能力も高くない人間になっている確率が高いと言えます。
 なぜなら、
その子は、
自分の意志をもって、自分で考えながら勉強してきたわけではない

ので。

 すると、中学高校生活はもとより、
大学進学、続いて就職するときに、
自分でやりたい仕事を選んだり、
入りたい会社への履歴書や面接で、自分の考えを発信したりする力が弱くなることでしょう。

 それでも、お得意の「マニュアル詰め込み式のお勉強」でその修羅場も乗り切れるかもしてません。

 ところが、そのように優等生然として就職しても、創造性を求められる「やりがいのある仕事」をつかむには及ばないでしょう。

 ただし、イエスマンが重用される職場にたどり着ければ、定年まで地位も安泰、収入に困ることにも無縁、日々の生活への悩みも皆無かもしれません。



 そして、

熟年期以降は。



 人間らしい感情の起伏を味わいながら、笑顔の多い人生を送ってきたという幸福感に浸ることができるのか。

 その答えは、まだまだ私の想像の域を出ません。



 私が「中学受験は親の受験ではない」と
サラッと当たり前
のこととして
言い切る陰には、
一方向からざっくり述べるだけでも
これだけの、
自身の経験に裏打ちされた自分の理論
があります。


 では、どのように
「子どもが主役の受験」なのか。

 それは
「一人ひとりの子どもが、それぞれに最も偏差値を上げるために必要な、唯一の絶対的な条件」を求めるなら、
「自分が自分で『人』としての『心』を整えること」にある、
というところから始まります。

 つまり、
その子の素質をもって可能な限りのところ
まで
目一杯、偏差値を上げよう
と思えばこそ、
その子の自主性が高まることを
最重視
しなければならない

ということです。

 ちなみに、
私は「偏差値至上主義者」では
ありません。

 念のため。
 ただし、使い方によって毒にもなる偏差値というものを、良薬として使いこなすことには賛成です。



 となると、その「心」の整え方が問題になりますが、
それはまた別の機会に書こうと思います。

桜梅塾「夏のキャンペーン」ラスト第三弾! ~中学受験は「親の受験」? いいえ、子どもの受験です。~

皆様、こんにちは。

 小学校の夏休みも終盤。
 桜梅塾では
「夏のキャンペーン」
ラスト第三弾!

として
親子ワークショップ講座の
早期割引

実施中です!!


 こちらの講座はおもに小学4・5年生のお子様と保護者様を対象としておりますが、3年生や6年生にもご参加いただけます。

 桜梅塾が「中学受験の基本の『き』」と考える
「中学受験はお子様自身の受験」
という哲学と、
そこから始まる心の整え方、勉強の仕方、勉強の中身の身に付け方について
お子様と共感し、
さらには共有していただくことで、
その先の成績向上、入試合格へと大きく前へ一歩踏み出していただくための、
親子ワークショップスタイルの講座です。

 以下、講座ページのご案内です。



 ~中学受験は「親の受験」?
  いいえ、子どもの受験です。~
★親子で学ぶ「中学受験」 ~思考力と人間力が、合格への道しるべ~
 ↓
https://www.street-academy.com/myclass/43276

 現在募集中の日程以外での受講をご希望の方は、ぜひ講座ページより「開催リクエスト」をお送りくださいませ。



 ご覧いただきまして、ありがとうございました!