ちょっと、呟き。「中学受験は、全人教育」。

皆様、こんにちは。

 今月は、受験指導の仕事のほかにも
さまざまな予定が詰まっていて、
私にとってはすごく重たい1ヶ月間なの
ですが、
「これだけ一生懸命になれることがたくさんあって幸せ」という喜びを噛みしめながら、
一日一日を全うしていきたいと思っています。

 ……というわけで、ブログは手薄になりますが、
例によってマイペースでやっていきます。
 もともとそういうブログなので、
どうぞ大目に見てやってください💦





 で、今日は思いの丈を、
ぎゅっと凝縮して。



 今、私がモットーとしているのは
「中学受験は、全人教育」
ということです。

 大手進学塾勤務時代から、無意識にそういうところに、ある程度の重きを置く私だったとは思うけど、
その大切さに深く思い及び、
そのことを腹に据えて全身全霊をあげて中学受験に向き合うようになったのは、
独立してからです。

 「中学受験は、全人教育」。
 つまり、
「人としての成長がなければ、
真の学力向上はない」ということ。


 去年の話です。
 とある中学受験生のお母様が、受験のことでお子様にストレスをかけ過ぎて、
お子様が半ば心を病んでしまったのですが、
お母様の締め付けは厳しさを増す一方でした。
 あれはダメ、これもやってはいけない、などと、
お子様の小学生として自然な心の動きを
「すべて無駄なもの」と見なして、
ことごとく封じ込めたり、削ぎ落としたりすることで、
お母様はその子を最難関レベルの中学校に受からせようと目の色を変えて必死でした。

 私から見ると、
そこまで狭い世界に子どもを住まわせてしまったら、
人として全く成長できないし、
勉強が何のためのものなのかも全くわからなくなるから、
成績なんか上がるわけないし、
受験が上手くいくわけがないよ、と。
 私の心のなかは、そんな思いで満たされていました。

 しかし、そのお母様が私に求めてきた
ことは、
「人間的成長とか、そういうことは別だから、そういうことに関わらず、ただ勉強だけ教えてほしい」
ということでした。

 「大竹先生に勉強を教えてほしい」と
何度も何度もお願いはされたのですが、
私には、そのお母様の「暴走」を止めること不可能だと思われたので、最後には何とかお断りしました。


 そうじゃないんだよ、勉強って。


 元体育会系女子の私が好きな言葉の一つ。
 それは、インターハイで何度もチームを全国優勝に導いた、高校スポーツチームで監督を務めていた方の言葉です。
「技術を身に付けることは、さほど難しくないが、技術を使いこなせるようになることは
難しい。
なぜなら、技術を使いこなせるようになるためには、人間的に成長しなければならないからだ」。

 私がこの言葉に初めて触れたのは、高校生のときだったと思いますが、自分が歳を重ねるにつれ、「人生とは、まさにこの言葉の通りだ」という思いを深めています。
 そして、人生のいつなんどきにも「この言葉の通り」なのですが、
心も頭も柔らかい少年期のうちは、なおのこと、「人間的成長」が能力の伸長に大きな影響を及ぼすと実感しています。


 勉強は、人生に役立たなければ、
意味ない。


 だから、先に述べた「子どもを『勉強する機械』に育てたいお母様」のように、過剰な効率主義のごとく受験勉強に取り組むのは、いずれ遠からず、「非効率の極み」に達するというわけです。
 私が、成績向上のために最も必要な条件を「人間的成長」と考えているのは、人の本質を見据えてのことにほかなりません。


 そして、この、今の私の信条の礎が確固たるものとして築かれたのが、
まさしく、その「中学受験」を乗り越えた先の、中学と高校での6年間だったのです。