「勉強を苦行だと思っている先生」からは、「勉強が嫌いな子」しか育ちません。(前編)

皆様、こんにちは。

 猛暑が続くなか、仕事や勉強に励んでいる方々、ゆっくり夏休みを取っている方々、さまざまかと思いますが、
受験生にとっては、まさに
たくさん力を蓄える夏ですね。

 夏は受験の天王山だの何だのと、古く昔から(=私たちの時代にも)言い習わされていますが、

今どきの中学受験塾の
恐ろしいこと
として、

受験生を
拘束する時間が
むやみやたらに長い

うえに

とにかく次から次へと
お金を積まなければ
ならないシステム

完全に出来上がっているという、

この二つは際立った問題だと私は考えています。

 「拘束時間の長さ」については、受験学年の6年生であれば「ある程度」は必要にもなるとは思いますが、
5年生以下の子どもたちを「塾漬け」にすることに、私は反対です。

 と同時に、
「子どもたちを
長時間拘束しなければ
学業成績を上げられない
塾講師や家庭教師は、

あまり
腕がよろしくない

と私は考えています。

 これと同じことは、スポーツの世界ではしばしば聞かれるようになりました。
 私が小学生だったころ、まだ昭和の時代には、日本のスポーツ界には「根性論」がはびこっていましたが、
今となっては科学的な理論が随所に適切に取り入れられています。

 その結果として、選手が無駄に身体を壊すことも以前より減ってきていますし、
怪我や病気の際にも、良い対処法で早い復帰を目指せるようにもなってきています。
 また、「強い選手やチーム」は質の高い練習やトレーニングを
集中力を活かして行うので、
ただひたすら長い時間をやみくもに費やすことも無い、という現実もあります。

 ちなみに、私は小学生のころから大学2年の終わりまで、ずっと体育会系でスポーツをやっていたので(今となっては、もっぱら観戦派ですが)、
そのような進歩を喜ばしく思っています。

 このような
「質の高さ」と
「ある程度の時短」

「パフォーマンスの
レベルを上げる」ために
不可欠な要素
であるというのは、
あらゆる分野に通ずる不変的かつ普遍的な原理だと言えるでしょう。

 しかし、
学業の世界、とりわけ受験の世界では、
「長時間とにかく机にかじりつく」ことがやみくもに信奉されていると感じます。
 しかも、何かと競争が激しいと称された、第二次ベビーブーム世代である私の中学受験の頃よりも、
今の時代になって「長時間拘束」が中学受験の必須の条件であるかのように、
無言のプレッシャーを小学生の子どもたちとその親御さんたちに強要している大手塾業界は、
時代に逆行している
ようにも思われます。

 かく言う私も、かつては「拘束時間の長い大手塾」の中学受験部門で働いていましたが、
この「長時間拘束の『罠』」は、「顧客(=子どもたちと親御さんたち)」にも「従業員(=講師たち)」にも、冷静に物事を考える余地を与えないように、
ジェットコースターのような勢いで、敷かれたレールの上を爆走していきます。

 離れてみてつくづく、「ああいう環境に埋もれてしまうと、どんなに意志の強い人間であれ、多少なりとも洗脳されるな」と、
ちょっと鳥肌の立つ思いです。

 そう、それはもう、学業でも学びでもなく、ただの「金儲けビジネス」であり、
ひとたびそこに乗ってしまったら、
勇気と鉄の意志を持たなければ
「心ある学び」や「血の通った人生」には戻れないという恐ろしさ
すらあるのです。

 これは、
本当の「学び」ではない。

 私が主宰する桜梅塾では、現在マンツーマン指導が主体となっていますが、
「大手塾の個別や大手の家庭教師よりも控えめな授業料で、拘束し過ぎることなく融通の利く授業スケジュール」を大切にしている陰には、
「お金と時間」に対するこのような私の考えがあります。

 資金を大切に使い、意志をもって学び、質の高い学習をすることにより、時間や労力を浪費しない。

 その思いを体現し、具現化し、一人でも多くの子どもたちと共有するために、私は日々奮闘しています。

 そして、そういうことを「子どもに背中で教えられる先生」になるためには、
まず「勉強の好きな先生」であることが絶対に必要な条件だと思います。

 ところが、

この受験業界、

怖いことに、

「勉強の嫌いな先生」が
少なくない

私は感じています。

 〔後編につづく〕