冗談でも言ってほしくない言葉

皆様、こんにちは。

 今日は、題名に掲げている「とある言葉」について、「サラッと」書かせていただきます。

 実際のところ、この言葉について私が思いを巡らせていることは、深く、なおかつ多岐に渡りるので、1回きりで思いの丈をすべて文字に表すことはできません。
 というより、1回きりのブログ記事で終わるような軽い問題でもなく、今後長きに渡って真剣に取り組まなければならない、根深い問題がそこには潜んでいると、私は考えています。


 では、その言葉とはどのようなものかと申しますと、

「子どもの将来」を「お金で買う」

という言葉です。


(ちなみに私は、炎上覚悟でこの記事を書いています。
 もっとも、このマイナーなブログですから、炎上するほどの大きな注目を集めることはないと思いますが、
世間でもてはやされ気味のネタに異論を唱えたりすると、
揚げ足をとり、目を皿のようにしてアラを探し、全てを洗い出し、吊り上げたがる方々も世の中にはいらっしゃることは、
残念ながら事実なので……覚悟だけはしっかり決めています。)


 誰かの「人生」に直接関わる問題というのは極めてデリケートなものであり、
たとえ、そこに金銭的なものが無関係でなかったとしても、そういう表現を使うものではないと、私は考えています。

 ましてや、未来に大きな可能性を秘めている「子ども」に対してなら、なおさらです。



 子どもの将来をお金で買う。

この「言葉」
すなわち「『言』の『葉』」には、
一人の人間としての子どもに対するリスペクトが微塵も感じられない。

神は細部に宿る、と云います。

他人(ひと)へ、子どもへの優しさに満ち、愛情に溢れた人において、そのような言葉が口をついて出てくるようなところは、まかり間違っても想像できません。

 そして、一人の人間が「お金」で別個の人間の「将来」を
買える 
と考えているところに、
謙虚さの影すら、うかがえないと思うのは私だけでしょうか。


 子どもは独立した人格を持った一人の人間です。それは忘れてはならないでしょう。
 ましてや、「教育」と名の付く職に携わっているのであれば、
「人に対するリスペクト」はいつなんどきにも肝に銘じて仕事にあたることが「基本のき」だと私は思っています。

★子どもは独立した人格を持っている……
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 また、私のこの心の叫びは、大人としての立場からのみ発せられたものではありません。

 かつて、中学受験生として自分のために闘った、「当時の私」の切実な叫びでもあります。

 あの、11歳、12歳だった頃の私が、

「子どもの将来をお金で買う」

という言葉に触れていたら、と思うと。

耳にしたとしても、目にしたとしても、
深く傷ついていたと思います。

 現に今、巷に存在するこの言葉。

子どもたちは、どう感じ、どう捉え、どう受け止めるのか。

何も考えずに、鵜呑みにする子もいるでしょうし、
お腹の中に疑問を抱える子もいるでしょう。
もちろん、かつての私と同様に、心に傷を負う子もいるでしょう。

 それは、「将来」の「日本」に傷を負わせることに等しいかもしれません。